真夏のシンデレラ

「ぶー。やっぱりひとりはつまんないでちゅ」

 てくてくと街中を歩きながらパピリオは呟く。
 季節はもう夏。
 強い日差しがジリジリと照りつけて街を加熱している。
 そんな中でも、周りを見渡せばカップル、カップル、カップルの群れ。
 この熱気が恋人達をも加熱しているんだろうかと、ませたことを考えてみた。

「……デートって、そんなに楽しいんでちゅかね?」

 パピリオは今、人間界にやって来ていた。
 久しぶりに姉のベスパが休暇を取って会いに来てくれたので、どうせなら人間界で思いっきり遊びたいと駄々をこねてみた結果、条件付きでなら、と小竜姫は許可してくれた。
 その条件というのが、ハメを外しすぎないようにとジークを同行させること。彼は小竜姫と違ってあまり小言を言わないので、パピリオは喜んで首を縦に振った。
 ――そして三人で街中を歩くこと小一時間。パピリオは気付いてしまった。
 アシュタロスの死後、あまり笑顔を見せなくなった姉が、ジークとお喋りしているときは楽しそうな表情をしている。無論それは同じ軍人として色々話が通じる部分があるというのも理由のひとつなのだろうが、そんなことは関係ない。
 目の前で小物やアクセサリーを選んでいる二人は、誰が何と言おうとカップルにしか見えないのである。

(こ、これは……ロマンスの予感? 夏の思い出? 恋に恋い焦がれ恋に泣くんでちゅね? 見つめ合うと素直にお喋りできなくなるんでちゅねっ!)

 パピリオは心の中でガッツポーズを取り、先を歩く姉とジークをまじまじと見つめる。
 傍目に見ても人間に変装したジークはいい男である。
 耳を人間と同じにし、肌の色も褐色へと変えた。
 ブラウンのカットソーにホワイトジーンズ、そして黒のローカットスニーカーという清潔感のあるスタイル。
 アクセサリーにニーベルングの指輪のレプリカと、剣と葉のダブルペンダント。
 ジークの落ち着いた雰囲気も手伝って、すれ違う女性は皆振り返る。
 ベスパもまた、大いに注目を浴びていた。
 白に近いベージュのサファリロールアップシャツに黒のブーツカットパンツ、二点ベルトタイプのサンダルという、あまり派手ではないファッションだったが、抜群のスタイルと開かれた胸元のおかげで強烈な存在感をアピールしている。
 すれ違う男達もまた、鼻の下を伸ばしつつ振り返る。

(デートの邪魔をしたとあってはレディの名折れ。ベスパちゃんのためにも気を利かせなければなりまちぇんね。二人ともゆっくり楽しむといいでちゅ)

 というわけで、パピリオはこっそり姿を消し、ひとりで街中をプラプラしていたのである。
 お小遣いも持ってるし、多少のトラブルがあったとしても何とかする自信はある。何か面白いものはないかと周りを見ていたとき、あるレストランが目に入った。

『魔法料理 魔鈴』

 見慣れない言葉にパピリオはふと足を止め、メニューの書かれている黒板を見る。
 そのア・ラ・カルトの中に、おいしそうなデザートの名前があった。
 少々歩き疲れていたパピリオは、一休みするためにレストランへと足を運んだ。

 テーブルについて足をパタパタさせていると、首輪に鈴を付けた黒猫がメニューをくわえ、テーブルの上にぴょんと飛び乗った。

「いらっしゃいませ、メニューをどうぞ」

 その猫を目にした瞬間、パピリオの動きがピタッと止まる。

「……どうかなさいましたかニャ?」
「きゃーん! かわいいでちゅーーーーっ!」

 パピリオはガバッと黒猫を抱きしめると、目を輝かせながらすりすり頬ずり。

「ニャー!? お客さん困りますニャー!」

 じたばたもがく黒猫だが、見た目に反して強い力で逃げられない。ご満悦なパピリオ、今度はアゴの下を指先でなでていく。

「ほ〜らほら、気持ちいいでちゅか〜?」
「はうはうっ。お、お客さんダメですニャ、そんなところをくすぐってはっ」

 言葉とは裏腹に黒猫の体からは力が抜け、ゴロゴロ言いながら目を細めてアゴを突き出している。

「うふふ、こー見えても私はペットの扱いには自信があるでちゅよ。えいっ、次はこっちでちゅ」
「も、もうやめ……うにゃぁぁぁぁんっ」

 すっかりパピリオになで転がされて、黒猫はゴロゴロと喉を鳴らす始末であった。

 黒猫がオーダーを取りに行ったまま帰ってこないので、オーナーである魔鈴めぐみが厨房から顔を出す。

「ずいぶん時間がかかってるみたいだけど、どうかしたの――って、まあ」

 テーブルの上で『くてっ』となっている黒猫を見てめぐみは軽くため息をつく。

「あーあ、またやられちゃったのね」

 黒猫はそのかわいらしさゆえ、客になで転がされて仕事にならないことはしょっちゅうなのだという。
 めぐみはパピリオのいるテーブルに行くと、ひょいっと黒猫を抱きかかえて微笑んだ。

「あっ、なにするんでちゅか」
「ごめんなさいねお嬢ちゃん、このコは大事な従業員なの。これ以上されるとお仕事にならなくなっちゃうから、ね?」
「む〜、しょうがないでちゅね」
「……あら?」

 めぐみは不満そうに呟く目の前の少女に見覚えがある気がした。
 そう、確かどこかで――

「あなたもしかして、パピリオちゃん?」
「ど、どうして私の名前を知ってるんでちゅか?」
「ほら、アシュタロスの騒ぎの時にちょこっとだけ会ったことあるんだけど」
「んー。あ、ホーキに乗ってた人でちゅね」
「ふふ、思い出してくれたみたいね。私は魔鈴めぐみ。ここでレストランをしながら魔法や魔術の研究をしているの」

 めぐみはにっこりと微笑んでメニューを開き、パピリオに見せる。
 パピリオは店に入るときに決めていた『魔界ミツバチの蜂蜜と月の光のゼリー』を注文した。
 何でも特別メニューで少々値が張るものだったそうだが、お近づきの印ということで今回はサービス料金にしてくれるという。

「今日はひとりでお散歩?」

 めぐみの質問にパピリオはふーっとため息をつき、椅子の背もたれに体を預けた。

「本当はお姉ちゃんや仲間と一緒だったんでちゅ。でも、その二人がいい雰囲気なもんだから、気を利かせてふたりっきりにしてあげたんでちゅよ」
「あら、それは良いことをしたわね」

 クスッと笑うめぐみ。しかし、パピリオは頬を膨らませて退屈そうな顔をしていた。

「ちょっと聞いてもいいでちゅか?」
「なにかしら?」
「デートって、そんなに楽しいんでちゅかね」

 あまりにストレートな物言いに少し驚いたが、めぐみは答える。

「そうね……相手が自分の好きな人ならどんなことより、ね」
「好きな人……か」

 パピリオは身近な男性達の姿を想像してみたが、今ひとつピンと来ない。
 斉天大聖はおじいちゃんだし、鬼門は論外。
 たまに妙神山に遊びに来る天竜童子は遊び仲間。好きな相手かというと良くわからない。
 となるとジークが最有力候補となるのだが、残念なことに彼はベスパとデート中だ。さすがに略奪愛も無いだろう。
 好きな人について考えていたとき、ふと人間を愛して散った姉のことを思い出した。ルシオラちゃんも、横島に会いに行くときはとても嬉しそうな顔をしていたっけ。
 好きな人ができたら、あんな風に笑えるんだろうか。
 考えれば考えるほど、パピリオの好奇心は膨らむばかりであった。

「よくわかんないけど、一度大人になってデートしてみたいでちゅ」

 はぁぁ〜っと深いため息をつくパピリオの言葉に、めぐみは胸の前で手をあわせて声を上げた。

「大人かあ……そうだ、いい方法があるわ! ちょっとまっててねパピリオちゃん」

 魔鈴はパタパタと店の奥に引っ込み、しばらく戻ってこなかった。
 そして再び姿を現したときは、銀のトレイに黄金に輝くゼリーを乗せて戻ってきた。

「魔界ミツバチの蜂蜜と月の光のゼリー、お待たせしました」

 そのゼリーは不思議な淡い光を静かに発し、まるで月の光を閉じこめたかのような神秘的なものであった。

「わぁ、綺麗でちゅーっ! それにおいしそう」

 パピリオもその美しさに思わず声を洩らしてしまう。

「芳醇な香りの蜂蜜のゼリーに、魔法で月の光を閉じこめてみました。でも、ここじゃちょっと食べられないわね」

 パチンとめぐみが指を鳴らすと、空間が魔界にあるめぐみの自宅へと移り変わった。

 部屋にあるクラシックなテーブルにゼリーを置き、めぐみはパピリオを座らせる。

「さあ、どうぞ召し上がれ」

 なぜこんな所に連れてこられたのかはわからなかったが、パピリオは目の前の誘惑に打ち勝つことはできず、スプーンでゼリーを一口すくって口に運ぶ。

「ふぁぁ……す、すごいでちゅ! こんな味初めてでちゅーーーーッ!」

 上品かつ魔力に満ちた蜂蜜の甘さ。
 静かな月の光が口いっぱいに広がるような不思議な、そして爽やかな味。
 一口だけでも体中に活力が満ちてくるような、パピリオにとって最高の一品であった。
 その後はもうじっくりと味わうのももどかしく、次々にスプーンでゼリーをすくい続けあっという間に平らげてしまった。

「お気に召したかしら? これはうちの自信作なの。それに、もうすぐ効果が現れるはずよ」
「効果?」

 そう聞き返した瞬間、パピリオの体に激しい衝撃が走る。
 体が焼けるように熱く、凄まじいエネルギーが体内を駆け抜けていく。

「ううっ、い、一体何を――うああッ!?」

 おぼろげな視界の先には、先ほどと変わらぬ笑みを浮かべためぐみが立っていた。

「最初はちょっと苦しいかも知れないけど、すぐに終わるから。我慢してね」

 その言葉を聞いて何か一服盛られたことをパピリオは理解したが、体がまったく言うことを聞かない。

「あああああーーーーーッ!!」

 体内にほとばしるエネルギーが一点に収束し、黄金の輝きを放ちながら弾けた。
 やがてパピリオの体から発する光は弱くなり、次第に彼女のシルエットが浮き上がってくる。

 透き通るように白くきめ細やかな肌。
 すらりと伸びた美しい両脚。
 充分に膨らんだ胸と、絹糸のように細く艶のある髪が背の半分を隠すほどに伸びている。
 うずくまっているパピリオの姿は、大人の女性へと変身していた。

「う……あ、あれ……?」

 パピリオは何が起こったのか良く分からないようで、ぼんやりしている。

「うん、成功したみたいね。それにしても……ため息が出るくらいに綺麗だわぁ」

 パピリオは頭を軽く振り、意識をハッキリさせる。そして立ち上がろうとして、自分の格好を見て素っ頓狂な声を上げた。

「きゃぁ!? な、何でハダカにッ!」

 大きくなった拍子なのか、身につけていた小さな服は全て脱げ落ちていたのだ。

「ちょっと、これはどういうこと!? それに……大きくなってる!」

 パピリオの変化は体だけに留まらず、舌足らずな話し方まで変わっていた。

「パピリオちゃん、大人になってみたいって言ってたわよね。だからちょっと魔法で隠し味をしておいたの。どう、大人の姿になった気分は?」
「どう、って……とにかくこのすっぽんぽんを何とかして欲しいです……」

 パピリオは恥ずかしそうに胸を隠し、赤くなってうつむく。満足できるほどの膨らみがあったのは嬉しかったのだが。

「こうなることがわかってたから私の部屋に呼んだのよ。待ってて、私の服を貸してあげるから」

 めぐみは部屋の隅にある物々しいクローゼットを開く。
 ぎぎぎぃ、と不気味なきしむ音が聞こえてきたときはどんな服が出てくるのかと不安になったのだが、その中に吊されていたのは年相応の女性が身につける可愛らしい服の数々でホッとした。
 それからしばらくの間パピリオは着せ替え人形のごとくめぐみにアレコレと服を着替えさせられ、ことあるごとにめぐみはパピリオを見てうっとりしていた。
 結局、白のキャミソールワンピースに黒のタンクトップを重ね、美しい足のラインを演出する編み込みサンダルというモノトーン・トータルで落ち着いた。
 黒のタンクトップには胸元に小さな蝶をデザインしたラインストーンがあしらわれ、その周囲にさりげなく散りばめられたラメが羽ばたく蝶をイメージさせる。

「うん、これがいいわね。これならどんな男の人も放っておかないわよ」

 服のセッティングを終え、髪を梳きながら楽しそうにウィンクするめぐみを鏡越しに見ながら、パピリオは自分の姿にずっと見入っていた。

(これ……私……? こんなふうになるんだ……お姉ちゃん達みたいに大きくなれたのね)

 そんな事を考えているうちに、パピリオは早く外に行きたくてウズウズしてきた。
 オトナになった自分の目には、世界はどんな風に映って見えるんだろうか?
 自分はどれだけ変われたのか、誰かに見てもらいたい。
 そう思っていたとき、ようやくめぐみが髪から手を離す。

「ふふ、早く出かけたくてしょうがないって顔してるわね。もういいわよパピリオちゃん。それからこれ、常連さんがくれた遊園地のVIPチケットもあげるわ。私は忙しくて、有効期限内に遊びに行けそうもないから」
「やったあ!」

 喜びでテンションの上がるパピリオに、めぐみは人差し指をぴん、と立てて忠告する。

「いい? 私の魔法であなたは大人の姿に変わったけど、この魔法は太陽が出ているうちしか効果がないの。だから、日が暮れる前にもう一度ここに戻ってきてね」
「うん、わかった。色々ありがとう!」

 元の世界へと戻ったパピリオは素早く会計を済ませ、軽やかな足取りで再び街の方へと向かっていった。
 ちなみに、レストランにいた男性客全員がレジの前に立っていたパピリオに釘付けになり、視線を一人占めしていたことには気が付いていない。

「んー、これが大人の世界かあ。ふふふっ」

 大人の姿になって何より嬉しかったのが、背が伸びた事だった。
 さっき通った道も、まるで違う場所に見える。
 今まで見上げていたもの全てが、なんだかとても身近に感じる。
 世界の全てが手に届きそうな、そんな素敵な気分だった。
 上機嫌で繁華街を歩いていたとき、反対側の歩道で周りを見渡しているジークとベスパの姿があった。
 心配そうな表情をしているところを見ると、きっと私を探しているんだろうな。
 少し心が痛んだパピリオは、道路に車が走っていないのを見計らって一気に反対側の歩道へ駆ける。
 そしてジークの前に立つと、にっこりと微笑んでみた。

「こんにちは、お兄さん」
「ん、君は? どこかで会っただろうか?」

 まったく心当たりがないといった風にジークは首をかしげている。
 どうやら彼女がパピリオだと全然気付いていないらしい。
 立ち止まって記憶を辿るジークの後ろから、ベスパもやってきた。

「どうしたのジーク? パピリオは――」

 ジークの肩越しに立つ少女を見た瞬間、ベスパは言葉を途切る。
 そしてじーっと彼女を見た後、急に口元をゆるめて微笑を浮かべた。

「どうやったか知らないけど、化けたね」
「うん。もう少し歩いていたいの。時間には戻りますから」
「そう……わかったわ。楽しんでおいで」

 ベスパとパピリオはそれだけの会話を交わし、すれ違う。
 ジークは会話の内容がさっぱりわからず、ポカンとしている。
  パピリオは軽く会釈してジークの横を通り過ぎると、振り返えって大きな声で言った。

「お兄さんって、こないだは違う女の人と歩いてましたよねっ」

 少しだけ舌を出して悪戯っぽく言うと、パピリオはタタタ、と走り去ってしまった。

「お、おい! いったい何の話を……はっ!?」

 いきなりの爆弾発言にひっくり返りそうになったジークは、背後から迫る気配に凍りつく。錆び付いた歯車のようにぎぎぎっ、と振り返ると、そこにはにっこりと微笑むベスパがいた。

「へぇ……そうなんだ。で、誰と歩いてたの?」

 口調こそ落ち着いてはいるが、作り物っぽい笑顔がかえって恐ろしい。

「いいい、いや違うぞ!? きっと何かのいたずらだ、真に受けるなベスパ!」

 汗をダラダラかきながらジークは弁解する。見ず知らずの少女の言うことだ、ベスパだって信用するまい、と思いつつ。
 ところがどっこい、情報源はジークと寝食を共にしているパピリオその人なのである。
 信憑性は充分。実は言い訳ご無用の状況へと追い込まれていることにジークはまだ気付かない。

「別に怒らないからさ、ホラ、白状しなよ」

 ニコニコしているベスパの顔をよく見れば、額にこっそりと血管が浮き上がっていたりする。

(怒ってる、絶対怒ってるっ!)
「ねぇ、ジークってば。黙ってちゃわかんないでしょ?」
「あっああああっ――!?」

 この後ジークはベスパの買い物に付き合わされさんざん奢らされたそうだが、それはまた別のお話。




 パピリオがひとりで歩いている三十分の間に、もう六人に声をかけられた。
 最初は褒め言葉や歯の浮くようなセリフを言われて面白いと思っていたのだが、言葉とは裏腹にその目にはいやらしい光を宿した連中ばかりでうんざりしていた。
 中には強引に肩を抱いて人気のない場所へ連れ込もうとする輩までいた。
 無論、そいつはパピリオの蹴りを食らって再起不能なダメージを下半身に負ったわけだが。

「まったく……オトナになるっていうのも結構大変ですね」

 髪を風にたなびかせながらパピリオはため息をついた。

 人間の男ってみんなこうなのかしら。あいつは、もっとこう素直だったというか――
 ふと、人生を変えるきっかけとなった人間のことを思い出したその時。

「おじょーさんっ、ボクと夏の花火のごとく真っ赤に燃える時を過ごしませんかッ!」

 突如現れた男はそういうなり、目にもとまらぬスピードで両手を握っていた。

「ヨ、ヨコシマ……!?」
「へっ? 何で俺の名前を?」

 色あせたジーンズにバンダナの男、つまり横島は自分の名を呼ばれてキョトンとする。
 パピリオは慌てて口に手を当て、次の言葉を考えて視線を泳がせていた。
 どうやら正体はばれていないようだが、なんだか目を合わせづらい。
 だが、横島はパピリオが言葉を考えるより早くまくし立てる。

「いやぁ、理由はともかく名前を知っていてもらえるなんてこれはもう運命というしかないっ! そういうわけで世界で一番アツい夏を二人でッ!」

 すっかり舞い上がっている横島を見ながら、パピリオは少し苦笑した。
 昔は横島の行動の意味が今ひとつ掴めなかったのだが、今はなんとなくわかってしまう。
 つまり、彼は分かり易すぎるくらいにスケベなのだ、と。
 そして、思ったことをそのまま行動に移しているのだ。
 しかし、不思議と嫌な気持ちはしなかった。少しは横島のことを知っているせいか、裏表がないからなのか。
 どうも憎めないと思えてしまうのだ。
 さっきの男達みたいに下心を隠して迫られるよりは、よっぽど気持ちがいい。
 そう思うと、もう少し横島のことを見ていたい気になってきた。

「それって、デートのお誘いってことですよね?」
「はひっ?」

 予想もしなかった返答に横島はヘンな声を出してしまう。

「だから、デートするんでしょ?」
「ももも、もちろんっ! ていうかホントにいいの……?」
「うんっ」

 その可憐な笑顔は、横島の精神を見事にノックアウトした。
 くらっ、ときてしまった。こういうものに、男は総じて弱いのだっ。
 横島は握り拳を作ってガッツポーズを取るが、はたと我に返る。

(これは夢では無かろうかいや新興宗教とか新手のキャッチセールスとかツツモタセとかまてそういや俺が声かけたんだっけということは俺は知らないうちにナンパのテクニックが上達していたのかだがこんな可愛いコがあっさりOKくれるなんて事があり得るのだろうかしかし罠でもこのチャンスは捨てきれんしこの笑顔が俺のツボにくるわけでッ!)

 横島の脳がフル回転して導き出したものは
『信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つく方がいい』
 という、武○鉄矢の偉大な教え(?)であった。

「それじゃ、どこに行こうか?」
「楽しいところがいいな〜」
「た、楽しいところ? 例えばどんな」
「ん〜と……あ、あそこに行きたい! 場所知ってるんでしょ?」

 パピリオが指差したのは交差点にあるビルの液晶モニターに映る『東京デジャヴーランド』の映像であった。
 チケットをもらったものの、場所がわからなくてがっかりしていただけに、パピリオの胸は期待でいっぱいになった。

「うっ……」

 しかし、、横島の表情は暗い。
 デジャヴーランドまでは電車を使えば問題なく行ける。が、問題なのは料金だ。万年貧乏の横島にとって、デジャヴーランドで遊ぶというのは決死の覚悟がいるのである。

「は、ははは……行きたいのは山々なんだけど……その、先立つものが何というか――」
「こんなチケットもらったんだけど、これがあれば入れるんだよね?」

 パピリオが差し出したものは、紛れもないデジャヴーランドのVIPチケット。遊び放題乗り放題の夢のシロモノである。

「おおおおおおおお!?」

 横島は立て続けに起こる幸運にわなわなと身震いした。

(これならば俺の料金だけで遊べるぞ……これは神が俺に人生の春を用意してくれているのでは!? 目の前にいるのはとびきりの美少女。そしてあっさりとナンパが成功したうえ、チケットまで手に入ってしまった。何かが……目に見えない何かが動いているっ。何かの陰謀かあるいは……今日の俺は人生で最もツイていると見たッ! 罠だとしても、行くところまで行くしかあるまいっ。 もし上手く行けば、あんなコトやこんなコトも……えへ、えへへ)

 横島の心の中はまだ見ぬ甘い展開で完全に埋め尽くされている。

「よし、後はこの横島忠夫にお任せあれっ。ところで君、名前は何て言うの?」
「もう、忘れちゃったの? 私はパピ――」

 と言いかけて、彼女は思わず口をつぐむ。
 横島は自分の正体に気付いていないみたいだし、ばれたら変な気を回されて純粋にデートができなくなってしまうかも知れない。

「ぱぴ?」
「ぱ、ぱっぴぷっぺぽ〜、なんちゃって……ははは……はは」

 しばし沈黙。

「じゃなくって、私の名前はえっと……そう、リオっていうの。よろしくね」

 とっさに思いついたにしては、いい名前だと思う。名前を半分にしただけなんだけど、不自然じゃないし。

「じゃあ、早速行こうか」

 てなわけで、二人は遊園地でデートすることとなった。




「次はあれ! あれがいい!」
「はぁはぁ、ちょ、ちょっと待って――ていうか元気だねぇ、君」

 思いっきりはしゃぎまくっているパピリオの後を、横島は息を切らしながら追いかけていた。
 さんざんあちこちを引っ張り回されて、横島の体力と財布はすでに限界に迫りつつあった。
 しかも絶叫系や体感アクション系のアトラクションばかりを選んでくれるもんだから、二人きりになってムードを出して――ということができない。

(それにしても子供みたいにはしゃぐコだな。いや、可愛いからいいんだが、なんというか……どこかで見たような気が。しかしこんな美少女を俺の脳が忘れるわけはないしなー)

 う〜ん、と横島が考えているとふいに腕を引っ張られ、連れてこられたのは夏の目玉『GS体験 マジカル・ミステリー・ツアー』

「こ、ここは……」
「なんだか楽しそう。ね、早く入りましょ!」

 横島の脳裏には、以前低級霊が暴れた事件のことが思い出されていた。
(完成前に来たときはえらい目にあったが……あれから悪い噂も聞かないし、大丈夫だよな)

 小さな懸念を振り払い、横島はアトラクションへと足を踏み入れた。

 ミステリー・ツアー内で横島を待っていたのは、予想に反する彼女の反応であった。
 絶叫マシンで大喜びしていた彼女が、このくらいで怖がることはないと思っていた――が。

「きゃあっ、ダメなのっ! 私暗いところと脅かされるのはダメなんですっ!」

 と、ひしっと腕にすがりついてきたのである。
 予想外のリアクションであったが、こういうのは大歓迎だ。むしろもっとくっついてくれ。

「そんなに怖がらなくても、俺がついてるから平気だよ。ははは」

 カッコイイセリフを吐く横島であるが、心の中では

(くぅぅっ! 前回のおキヌちゃんに引き続きなんという役得ッ! これだけでも支払った料金分の元は取れた! あああ、腕にやーらかい感触がッ!)

 とまぁ、こんな調子であった。
 だが、あまりにもパピリオがすがりついてくるので少し心配になってきた。
 薄暗い階段をゆっくり下りながら、腕にしがみついて目をつぶっているパピリオに声をかける。

「ホントに大丈夫かい? これは全部作り物だからそんなに怖がらなくても」
「私、夜目が利かないから……あの、手を離さないでね」
「はうっ!?」

 きゅーんっ! (効果音)

 自分を見上げる、不安に潤んだ瞳。腕に押しつけられる柔らかな膨らみの感触。
 横島の煩悩メーターはレッドゾーンを振り切り、ぎゅんぎゅんブースト加速していく。

「も、もうたまらんッ! ぼかー、ぼかーもぉッ!」

 プッツンした横島が飛びかかろうとした瞬間

 ガシャッ! グワアァァッ!

 と、とある霊能者にそっくりな髪の長いミイラが壁から飛び出してきた。

「キャーーーッ!」
「ぶぺらっ!?」

 横島はビックリしたパピリオに突き飛ばされ、ミイラのロボットと共に壁にめり込んでしまう。

「あっ、その……ゴメンなさい」
「ははは……は、はは……結構力強いのね、お嬢ちゃんてば……(かくっ)」

 その後もツアーは問題なく進み、横島は何度か突き飛ばされたり飛びかかって自爆しながらお化け屋敷の醍醐味を堪能することができた。
 ベンチに腰掛けて休憩しながら、パピリオは満足な顔をする。

「あはは、怖かったけど楽しかったです」
「そう言ってもらえると嬉しいなぁ。奮発した甲斐があったよ、ははは……」

 横島の財布はもう限界に達しようとしていた。
 これからの生活のことを考えるとヘコむが、今はそんなことを考える場面ではない。
 一方、パピリオはしばらく何かを考えていたが、ふと顔を上げて尋ねた。

「あのね、デートは好きな人とすると楽しいって聞いたの。だとすると、私はヨコシマのことが好きってコトになるのかなぁ?」
「へっ……?」

 平然と言われた言葉に横島は固まってしまう。今なんて言った?

(う〜ん、ヨコシマのことは嫌いじゃないし、面白くて好きだと思うけど……なんていうか、ルシオラちゃんがヨコシマを好きだった気持ちとはなんか違う気がする。まだ、よくわかんないや)

 パピリオは知りたかった。恋をするということを。命を懸けてまでその人を大切に思う気持ちを。
 誰かを想い、はにかみながら微笑むその気持ちを。
 ――まだ、その答えは見つからない。




 パピリオが遠くを見ながら考えを巡らせている一方で、横島の脳と心臓もフル回転していた

(な、なんなんだこの展開は。今までにないパターンだぞ。あまりにもスムーズに事が運びすぎる。彼女も本気なのか冗談なのか――ぐああッ、さっぱりわからんッ!)

 横島が頭を抱えてブンブンと悶えていたとき、ある物が視界に入る。
 目の前を横切る人混みの向こうに、ぼんやりと浮かび上がる人影。
 それを認識した瞬間、横島の表情は一気に険しくなる。

(ありゃ幽霊じゃねーか。しかも、かなりヤバめの奴だ)

 そう思った瞬間にはもう遅く、横島と悪霊の目が合ってしまった。
 すでに正気は感じられず、憎しみの光を宿した眼でこちらを睨みつけている。自分の存在を気付かれた悪霊はその人間につきまとい、時には襲いかかってくるのだ。
 そしてコイツもまた例に漏れず、横島達めがけて突進してきた。

(ああもうっ、なんで俺が遊園地でデートすると必ずトラブルが起こるんだ!)

 心の中で泣きそうになりつつ、横島はパピリオの腕を取りとっさに駆け出した。

「きゃっ!?」

 その直後、二人のいた場所に悪霊が突っ込み、座っていたベンチが粉々に砕け散る。

「……ウウウ、ドイツモコイツモいちゃいちゃシヤガッテ……かっぷるナンテミンナブッコロシテヤル!」
「なんだコイツ、モテない野郎の悪霊かよ……とっとと成仏しろってんだ」

 ある意味で自虐的な発言なのだが、今の横島の隣には女の子。すでに上から物を言う目線である。

「オンナナンテ、オンナナンテ……」

 不気味な声で悪霊はブツブツと呟き、やがてギロリとパピリオの方へ向き直す。
 だが、悪霊ごときにひるむパピリオではない。堂々と目の前に立ちはだかり睨み返す。

「お前、私の貴重な時間を邪魔する気なの? だったら許さない!」
「バ、バカ、挑発してどうするんだ! 危ないから離れてろ!」
「平気平気、こういうのはへっちゃらだから」
「そーゆー問題かっ!」

 パピリオと横島が言い合っていると、悪霊が突然口を開いておどりかかってきた。

「シネーーーーッ!」
「どわぁっ、ヤバっ!?」

 横島はとっさにパピリオを突き飛ばし、悪霊の口に想いっきり拳を突っ込む。

(ぐっ――!)

 腕に激痛が走るが、そんなことにかまっていられない。

「お前みたいな情けない根性の奴にウロチョロされると迷惑なんだよ。極楽へいっちまいな!」

 拳の中に握り締めていた『滅』の文珠が発動すると、悪霊は断末魔の悲鳴を上げて消滅した。

「やれやれ。大丈夫だったかい? 怪我はないか?」

 横島は横で尻もちをついたままのパピリオに手を差し伸べる。

「私は平気です。でも、腕が……」

 言われて横島は腕を見る。袖が破れ、血がドクドクと流れているではないか。

「ぐわ、気付いたらめっちゃ痛くなってきたッ! も、文珠ッ!」

 慌てて文珠を出して治療し、横島は恥ずかしそうに頭を掻く。

「いやぁ、実は俺GSの見習いでさ、いつもはもっとこうスマートかつクールに――」
「私をかばってくれたの? こんな怪我をしてまで……?」

 自分を見上げるパピリオに微笑みかけると、横島は再び手を差し伸べた。

「当然だろそんなの。それよりほら、早く」

 パピリオはその手を握り返し立ち上がる。と同時に横島にしがみつき、その胸元に顔を埋めた。

「えっ」
「……私、やっとお姉ちゃんの気持ちがわかりました。もっと一緒にいたかったけど、もう行かなきゃ」

 すでに太陽は西に傾き始め、日が沈むまでにそれほどの時間は残されていない。

「も、もう行かなきゃって」
「ごめんね、私にはこれくらいしかできないけど――」

 ふと、横島は自分の頬に温かくて柔らかいものが触れたのを感じた。

「今日はとっても楽しかった。ありがとうヨコシマ……」

 パピリオが振り返る瞬間、胸元の蝶々のラインストーンがキラリと輝いた。
 そして呆然としている横島を置いて、パピリオは人混みの向こうへと消えていってしまった。
 頬に手を当てたまま、横島は思いを巡らせていた。
 蝶々、お姉ちゃん、それに自分の名を知っている娘――

「まさか、な」




 これが真夏の夢だったのか、横島にはわからない。
 ただ、パピリオも横島も、この日の体験は胸の奥にそっとしまい、誰にも語ることはなかった。