イルミネーション
三色の灯りに従い、騒音を撒き散らしながら流れる自動車。
うんざりするほどの人々が行き交う交差点。
埃にすすけた街路樹と、まるで巨木のように立ち並ぶ灰色の四角い建造物。
――人間の営みが繰り返される場所。灰色の街。大都会。
そんな街並みを高層ビルの屋上から眺めている少女がいた。
束ねられた後ろ髪は九つに分かれ、吹き抜ける風に任せるまましなやかになびいている。曇りのない金糸の束は日の光を複雑に反射してさらに輝き、まだあどけなさの残る少女に不思議な美しさを与えていた。
金毛白面九尾の狐――
太古の昔、少女はそう呼ばれていた。
人間の多い場所は、好きじゃない。
一度人混みに紛れて歩いてみたけど、騒がしくてせわしくて、息が詰まりそう。だから街をうろつく時は大通りを避けて、屋根から屋根へ、ビルからビルへ。こっちの方が気楽でいい。それに、路地裏に住んでるノラネコたちに近道を教えてもらえるし、何より景色が違う。
人間の多い場所は、好きじゃない。
だけど、ビルの上から眺める街の景色は好き。見上げればどこまでも遠くて、優しい青。手の届かない場所で浮かんでる雲は、ゆっくりと形を変えていろんな表情を見せてくれる。
真っ直ぐに空を横切っていくひこうき雲を、のんびりと眺めるのが私の日課。
そして、今度は街を見下ろしてみる。
腕時計を何度も見ながら周りを気にしている若い男。誰かを待っているんだろうか。
携帯電話を耳に当て歩いてるおじさんは、相手もいないのにどうしてペコペコと頭を下げたりしているのだろう。同じ制服を着た女の子達が輪を作って大袈裟に笑っている。そんなに面白いコトあったのかな。
数え切れない大勢の人間がいて、それぞれがみな違う、いろんな事をしている。私はそれを眺めながら、何をしているのか、何を考えているのか想像し、観察する。
それでもやっぱり人間って、良くわからない。でも、見ていて面白いとも思う。
殺生石の欠片が霊力を満たし、この時代に生き返った時、最初に見た人間は大勢で私を取り囲み、殺そうとした。
どうしてこんな目に遭うのかわからなかったし、怖かった。だから、必死で逃げた。
(人間は敵だ、復讐してやる――!)
そう誓った。
でも、その後に私を拾ったのは、どこか違う人間たち。
殺すどころかかくまって、手当をして、逃がしてくれた。
それからしばらくして再会した時は、人間の世界で生きるために必要だといって私を同じ屋根の下に住まわせたり。ハッキリ言って、人間が何を考えているのかまったくわからなくなってきた。
殺そうとしたり、助けたり、面倒を見たり。最初は憎いだけだったのが、少しずつ変わってきて。
――そうか、みんな同じじゃないんだ。それぞれ違うんだな。
だから私は、こうして街と人間を眺めている。
あふれかえる人混みを見つめながら、いろんな連中がいるんだなぁと思っている。
そういえば、あの子は何をしているんだろう――
デジャヴーランド。
面白いってだけで、何の意味もないお祭り騒ぎに乗り物や仕掛け。高い料金を取るのが気に入らないけど、すごく楽しい人間の遊び場。
そんな場所で、ふとしたことから知り合った人間。
大きなメガネが印象的な、頼りなさそうに見えて勇気のある優しい男の子だった。最初はとても価値のあるチケットを捨てようとしたりして、何考えてるんだと思ったけど、友達になって、めいっぱい遊んで。そうしているうちに気が付いた。
――自分を隠してる。
楽しいって言っていたのはウソじゃなかったけど、その笑顔が笑顔じゃない。メガネの向こうで、痛んだ心を必死に押し隠していた。
他人の事情なんて、私にはどうでもいいこと。
――そのはずだったんだけど。
知りたい、と思った。干渉されるのは嫌いだから、することなんてありえないと思っていたのに。ちょっとしたハプニングがあって私の正体がばれた後、真友くんは本当の真友くんを見せてくれた。
水の中に落ちて濡れた服の胸元に、彼の涙がじんわりと染みて。
だけど嫌な気持ちじゃなかったし、格好悪いとか、情けないとかそんな風には全然思わなくて。それよりもむしろ、本当の気持ちを見せてくれたことが少し嬉しかった。
人間は何を考えているかわからないから。わかったとき、わかってあげられたとき。なんだか胸が温かくなったような気がして。
そういえば真友くんは、私が妖怪だと知ってもへっちゃらな顔をしてたっけ。
よくわかってなかっただけかもしれないけど。
あの時のことは、一年以上経った今でも思い出すと温かい気持ちになれる。
彼はいま、何をしているのかな。
物思いにふけりながら空を見れば、いつの間にか西の地平に沈みかけている太陽。そして、東の空から夜の闇がじわじわと染みわたっていく。
夜の空、夜の街。夜の景色も私は好き。冬の夜は風が少し冷たいけれど、澄んだ空気と綺麗な星空。煌々と照らす月の光を浴びていると、それだけで心が安らぐから。
街に目を落とすと、光の海が遠くまで広がってる。街に灯る明かり、車のヘッドライト。遠くに見えるベイブリッジがとても綺麗。
それにもうすぐクリスマスとかで、大通りには光の粒で化粧した街路樹や、大きな木の形をしたオブジェの群れ。イルミネーションっていうらしい。
それは色鮮やかに輝きを変えたり、流れるように点滅していろんな表情を見せている。
ホント、人間ってこういうコトに妙に熱心なんだから。
よく見ればイルミネーションの周りには、それを見上げる多くの人間たち。楽しそうに、どことなく満ち足りたように微笑みながら。
(どうして電球の飾りくらいであんな表情ができるんだろう)
そう思いながらじっと観察して気付いたのは、ああいう顔をしているのは決まって男女の2人組だってこと。腕を組んだり、手をつないだりして――二人で同じものを見ながら、はにかむような。
みんな、そんな顔をしている。
(誰かと一緒に見れば、違って見えるのかな)
眺めているうちにそんなことを思う。
私の周りにいる連中といえば――シロは落ち着いて見てくれないだろうし、おキヌちゃんや美神さんと見るっていうのも、やっぱり何か違う気がする。
――っていうか、女同士だし。
横島は助けてもらった恩もあるし、面白い男だとは思うけれど。
アイツは美神さんにおもいっきり熱上げてるし、二人でこんな場所にいたら同居人たちに何を言われることやら。
そんな私の心にふっと浮かんで、よぎるもの。
ほんの短い間だったのに、胸の奥に焼き付いていて。
遊んで、笑って。本当の姿と、流れた涙。
そして――約束をした。
今度また、一緒に遊ぼう。
名前以外のことは互いに聞かなかった。聞こうとしなかった。
むりやり踏み込もうとすれば遠ざかることを、私達はどこかで感じていたんだと思う。
そのまま、私達は別れた。
この街にいるのか、どこか遠くにいるのか、何も知らないけれど。
本当に逢いたいと願えば、きっと会えるはずだから。
その時は、喜んで交わした約束を果たそう。
鋭さを増したかのような冷たい風が通り過ぎていく。
冬を迎えて長く伸びた後ろ髪が、夜の海に流れて浮かぶ。
人間達は相変わらず楽しそうで。真っ白なため息がひとつ、こぼれて消えた。
(久しぶりに……顔が見たいな)
ぽつりと呟いて、つい苦笑してしまう。
それこそ奇跡。
そんな都合のいいこと――そう自分に言い聞かせようとした瞬間。行き交う人混みの中にその姿を見つけ、私は目を見開いた。
忘れもしない大きなメガネ。ハネ上がったクセのある髪の毛。肩からカバンを下げて、慣れた様子で人と人との隙間をすり抜けていく少年。
「真友くん!?」
この時の私はどんな声を出していたんだろうか。
懐かしいだけなのか、それとも――?
ただひとつわかっていたのは、身体が勝手に動いて、気付いた時には人混みの中に飛び込んでいた。
ビルの上からはよく見えたのに、地面に降りた途端に姿を見失ってしまう。彼が歩いて行った方へと駆け出してみたけれど、あまりに沢山の人間がいてちっとも前に進めない。
「真友くん!」
その名を呼びながら夢中で走って。見知らぬ人にぶつかって、しりもちをついて。
ああもう。だから人間の多い場所は好きじゃないんだ。周りの人間達はそしらぬ顔で歩いて行くし、雑音がうるさいし。なんだか悔しくて、急に哀しくなって。胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。
「大丈夫?」
優しい声。目の前に差し出された手。
ハッとして顔を上げてみれば、大きなメガネの男の子が微笑んでいた。私はその手を握り返す。あの時と変わらない、てのひらのぬくもり。ぐいっと力強く引っ張られ、ようやく私は立ち上がる。
「久しぶりだね、タマモちゃん」
「うん、久しぶり」
「こんな所で何を?」
「真友くんを見かけたから――」
「え?」
「約束したでしょ。また遊ぼうって」
「憶えててくれたんだ」
「約束は忘れないわ」
「うん。僕も忘れてない」
手は繋いだまま、人の流れに乗って歩き出す。
「背、伸びたんだね。もう私とあんまり変わらない」
「変身してもらわなくてもいいってのが、嬉しいかな」
言いたいことはたくさんあったけど、こうしていれば言葉はいらない。互いに忘れていなかった。憶えていてくれた。そのことが嬉しくて。そっと手を握り返すと、真友くんも少しだけぎゅっと。
真友くんは少し照れくさそうに。そして嬉しそうに微笑んでいた。
ああ、そうか。
こんな気持ちのときに、ああいう表情をするんだ。
きっと私も同じ顔をしてる。でも、嫌な気分じゃない。
「向こうのイルミネーション、一緒に見よう。とっても綺麗なんだ」
「うん。見てみたい。下で見るのは初めてだから」
私達は他の連中と同じように、手をつないだまま飾り付けられたイルミネーションを見上げていた。幻想的な光の粒に優しく包まれていくような、そんな気持ちになって。
真友くんは何も言わず、私の手を握ってくれる。
だけど――どうしても聞いておきたいことがひとつだけ。
「ねえ……怖いとか、そう思わないの?」
「何が?」
傾国の怪物。金毛白面九尾の狐。
それが私の正体。それが私の前世。
蘇った途端に命まで狙われたのだから、人間にとって私はよほど恐ろしいらしい。
「話くらい聞いたことあるでしょ?」
生まれ変わる前のことは何も憶えてないけど。そんな妖怪なのよ、私」
「そりゃまあ、少しは驚いたけどさ。どうして?」
「どうして、って」
「タマモちゃんは、人を食べたりするのかい?」
「そんなことしない」
「誰かに取り憑いてたたるとか、悪い事しようと思ってる?」
「面倒だし、今のところする理由もないわ」
「人間が嫌い?」
「……わからない。けど、いろんな人間がいるってことは知ってる」
「だったら僕らと同じさ。だから怖がる理由なんてない」
「真友くん……」
「憶えてもいない大昔の事と、今のタマモちゃんとは関係ないはずだろ。僕はあの時、タマモちゃんと出会って救われた。本当に、救われたんだ」
「……」
「人間だ妖怪だ、ってこだわる人もいると思うけど、そんなのつまんないじゃないか」
「うん……ありがとう。ありがとう真友くん」
気付いた時には真友くんの腕に身体を預けていた。
ほんの少しだけ寄りかかるように。
こみ上げる熱い気持ち。優しい想い。嬉しさの鼓動。
つないだ手と、頬をうずめる肩が温かくて。
私の面倒を見てくれている連中は元々妖怪を相手にしている人間だから、私を怖がらないのはある意味では当然。
だけど彼は普通の人間。
なのに全てを知ったうえで、それでも怖くないと。
前世のことなど何の関係もない。今の私が、私の全てなのだと。
もしかしたら私のこと、まだよくわかっていない部分もあるかもね。
だけど、信じてみようと思う。
優しくてメガネの似合う男の子のことを。
「あのさ――」
「なに?」
「二十四日の夜、クリスマス・イブ。また逢えるかな?」
「いいよ。ここで待ってる」
「よかった。じゃあプレゼントの用意しないとな。欲しい物のリクエストは?」
「あぶらあげ」
「あはは、変わったものを欲しがるんだなぁ。オッケー、用意しとく」
「楽しみにしてるから」
街が奏でるジングル・ベル。天の使いは白い雪。
ひとひらの奇跡は風に乗り、二人を出会わせた。
吐く息は白く、風は身を切るように冷たくても。
つないだ手のぬくもりが心を温めているから。
私達はきっと平気。きっと大丈夫。
そしてプレゼントを抱えた彼が来てくれたら、こう言ってあげよう。
憶えたばかりの、祝福の言葉。
『メリー・クリスマス』
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