フランダースのおおかみ
シロが泣いている。
俺はそれを黙って見ていることしかできない。
小さな肩を震わせて、アイツは泣いている。
「うう……どーして、どーして『ね○』と『ぱと○っしゅ』を誰も助けてあげないんでござるかっ!」
「哀しい話なんだよ。ていうかお前、何回見れば気がすむんだ」
近所のレンタルショップで借りてきたハ○ス名作劇場に、シロはボロボロと涙を流している。
主人公の少年とその愛犬が辿る運命は切なく、横島もかつて目頭が滲んだことはある。だが成長し大人の汚れが身に付いてしまった今となっては、なかなか涙ぐむこともなくなってしまったが。
「何度見たって納得できないでござるっ!」
「世の中にはな、こういう理不尽もあるって事さ」
慣れてないとはいえ、感情移入しすぎな気がしないでもない。
もっとも、それが彼女の優しさでもあるのだが。
他人にまるで無関心でいるよりは、百倍マシだろう。
「せめて最後まで一緒にいられてよかったじゃないか。ネ○もパト○ッシュも温かそうな顔してるだろ」
「うう……でも、でもっ」
真っ赤に目を腫らし、鼻をぐしぐしとすするシロの頭をポンポンと軽く撫で、
「あんまり夜更かしするなよ」
と付け加えて横島は事務所を後にした。
冬空の透き通る星は綺麗だが、それを楽しむ余裕は無い。
震えながらアパートにたどり着いたときには、身体が芯から冷え切ってしまっていた。
パジャマに着替え、カップ麺で腹を満たして布団に潜り込む。
だが、ロクに暖房もないボロアパートはひどく寒い。
明かりを落として目を伏せるが、なかなか眠くはならない。
「ふぇっくしょん」
くしゃみをしても一人。
部屋を包む暗闇だけが返事をする。
今夜は風が強い。
立て付けが緩くなった窓枠がガタガタと騒ぐ。
雑音に苛立って目をやれば、カーテンの隙間に銀色の月が浮かぶ。
こんこん。
半ば意識が沈みかけてきた時、音がした。
薄目を空けて部屋を見る。
――誰もいない。
目を閉じようとした時、カーテンの向こうに影が浮かぶ。
いや。
窓の手すりに誰か乗っているのか。
こんこん。
布団を被ったまま身体を起こし、カーテンを開ける。
手すりに乗って窓を叩いたのはシロだった。
煌々と輝く月明かりを吸い込んで、銀の髪が揺れている。
闇に浮かぶ輪郭がとても美しくて、横島はしばらく見とれていた。
「――っと、お前、何してるんだ」
我に返った横島は窓を開けてシロを部屋に導く。
手を握って彼女を引っ張ったとき、その冷たさに横島は驚いた。
「すっかり冷えちまってるじゃねーか、バカ」
「えへへ、来ちゃった……でござる」
「このクソ寒いのに何の用だ? サンポなら受付は終了してるぞ」
「えーと、先生が寒くて震えてないかな、と思って」
「テレビの見過ぎだ」
少しぶっきらぼうに言いつつ、横島は嬉しかった。
身を切るような風が吹く夜には、わけもなく心細くなる。
そんな時、誰かのぬくもりを感じられることがどれほど幸せか。
一人暮らしを続ける横島には、いやという程良く分かっていた。
「こんな時間じゃ追い返すのもできねーじゃねーか。まあいいや、今夜はここで寝ていけ」
「ホントでござるかっ!」
「そのかわり、狼の姿でな。首飾りの力があれば、変身の逆転だって出来るだろ。人間の姿だとうっかり――」
「うっかり……何でござるか?」
「げふんげふんっ! ま、まあ、フサフサの方が温かいだろ。いいからホラ」
横島は強引に変身を促すと、子狼に戻ったシロを布団の中に招き入れた。
ふわふわの毛布みたいな毛並みが鼻先をくすぐる。
ほのかに香るシャンプーの匂いと、身体の温かさが心地良い。
いつの間にか、布団の中はすっかりとぬくもりに満たされていた。
「ああ、あったけー。湯たんぽなんかと違うなぁ」
「くぅ〜ん」
「ありがとな。お前は本当に……優……し……」
昼間の疲れか、安堵からか。かすかに呟きながら横島の意識は闇に溶けていく。
その胸に抱かれたまま、シロも幸せそうに身を丸めていた。
(先生が凍えそうなときは、いつでも駆けつけるでござるよ。いつでも――)
翌日。
朝日を浴びた精霊石が、シロの胸元でキラキラと輝く。
目を覚ました横島は、布団の中でシロが人間の格好に戻っていることに気付く。
数十秒の思考停止。
「お、俺は何もしてないッ! 俺は無実だーーーッ!」
我に返った横島は柱に激しく頭を打ち付けて気絶してしまう。
その顔はルーベンスの絵を見たネ○少年のようであり、寝息を立てるシロの顔はパ○ラッシュのように安らかだったという。