ハイスクール・クリスマス
愛子は、その日を素直に喜ぶことが出来ないでいた。
赤、白、緑。色とりどりの飾り付け。夜の闇に浮かび上がる、幻想的な光の立体画。
綺麗に包装された包みを持ち、家族の待つ家へと歩みを急ぐ者。
寄り添い歩き、年に一度の特別な時間を謳歌する恋人。
クリームたっぷりケーキにチキン、透き通るシャンパンに丸ごとターキー。
今夜はクリスマス・イブ。
世間はどこを向いても幸福の色に染まっている。
しかし。
どれもが愛子には縁のないものであった。
家族。帰るべき家。そして、恋人。
「はあ……」
明かりの消えた教室で、ため息がひとつこぼれる。
今頃、クラスの皆はそれぞれのクリスマスを謳歌しているのだろう。ならば、クラスメイトの幸せを祈るのも美しい青春じゃないだろうか。愛子は自分に言い聞かせ、視線を窓の外に向ける。
人のいない運動場。闇の静寂に包まれた校舎。閉じた校門――全て見慣れた風景である。何も変わらない、いつもと同じ夜のひとつ。なのに、どうしてこんなにも寂しいのだろう。
「やあ、今夜はいつになくブルーだね」
そんな愛子に声を掛けたのは、同じく学校に住み着く妖怪メゾピアノ。自己顕示欲が強い外見と同じに、口調も大袈裟な抑揚で飾られている。
「……さすがに、今夜だけはアンタでもいてくれて良かったと思えるわ」
「はっはっは、そんなに褒めると照れるじゃないか」
「どーゆー脳みそしてんのよ」
こめかみに指を当てて、愛子はため息をもうひとつ。机の上でくるりとお尻を動かし、廊下側にいるメゾピアノの方へと向き直った。
「なぜそんな寂しそうにしてるんだい?」
「今日が何の日か知ってるでしょ」
「はて……僕の美しさは日を選ばず光り輝いているけどねぇ」
ハハン、と髪を掻き上げて悦に入る姿を見ていると、何もかもがアホらしくなってくる。しかし、ふと我に返ってみれば、胸の奥に冷たいすきま風が吹くのを否応なく感じてしまう。
「クリスマス・イブなのよ。今夜は」
「ふむ、そういえば人間たちがなにやら騒いでいたねぇ」
「だから……みんなどうしてるかな、って」
「つまり、愛子クンは誰からもお呼びがかからなくて、一人で孤独で虚しい夜をごふぁ!」
言い終わらないうちに、机の角がメゾピアノの脳天を直撃した。愛子の額には井桁がくっきりと浮き上がっている。
「一言多いのよッ!」
「ぼ、僕は真実を述べたまでなのだが」
「わかってるわよ。私達は妖怪……だもの」
「人間たちの習慣など、僕らには関係のないことだ。しかし――」
メゾピアノは視線を窓に向けると髪を掻き上げ、キザな表情でフッと笑う。
「彼らには大いに関係あることだからね。ほら、もう来ているよ」
「え……?」
教室の窓を叩く音がして振り返ってみると、そこに――
「横島くん!?」
サンタの衣装を着た横島が、ガラスの向こうで笑っている。
ふいに教室の明かりがついたと思うと、ピートやタイガーを含めたクラスメイト達が教室に入ってきた。
「よー愛子。寂しいクリスマスでへこんでるんじゃないかと思ってさ」
「最初は僕らだけで祝うはずだったんだけど」
「ピートさんが行くという話が伝わったら、女子達もみーんな付いてきたんジャ」
クラスメイト達は机を動かして大きなテーブルに見立て、テーブルクロスを掛けてケーキを置く。さらに小さなツリーや各自持ってきた料理を並べると、教室はあっという間にクリスマスパーティの会場へと早変わりする。
「みんな……せっかくのクリスマスなのに、私のために……」
涙目になる愛子に「みんなでお祝いした方が楽しいじゃない」と女子生徒。チキンをつまみ食いしている男子生徒が「どうせ一緒に過ごす相手もいないんだろ」と呟く。どっと笑いが湧き起こってじゃれ合いが始まり、すっかり和やかなムードに包まれていた。
「ありがとう……みんな……ありがとう」
愛子は胸がいっぱいになり、両手で顔を隠してうつむいてしまう。そんな彼女の肩に手を置いて、横島が笑顔で話しかける。
「嬉しいのは分かるけど、セリフが違うんじゃないのか?」
その言葉にハッとした愛子は顔を上げ、涙を拭いて前を見た。
気の良いクラスメイト達は、にこやかに次の言葉を待っている。
「そうよね、これって青春よね!」
教室に響く声。その直後にクラッカーが放たれ、祝福の言葉が交わされる。
そのパーティは夜遅くまで続き、騒ぎに気付いた先生に怒られながら続行したのも良い思い出となるのだった。
夜も更けて。
やがて生徒達が帰らなければならない時が来た。
一人、二人と教室を後にしてクラスメイト達の姿が無くなった頃、最後まで残っていた横島が愛子に声をかける。
「よお、俺達のプレゼントは気に入ってもらえたか?」
「ありがとう。最高のクリスマスになったわ」
「んじゃ、サンタさんから個人的な贈り物だ」
そう言って横島は包装されたプレゼントを愛子に手渡す。
「あんまり良いもの買えなかったけど、勘弁してくれよな」
丁寧に包みを開けてみると、ペンケースに鉛筆、ボールペンにサインペン。フィルムに包まれた真新しい消しゴムと、科目と同じ数のノート。定規やコンパスなど、およそ学校で使うであろう筆記用具が全て揃っていた。
デザインもシンプルすぎず派手すぎず、愛子の好みに合った物ばかり。彼が真剣に選んでくれたことが、一目で分かる。
値段が重要なんじゃない。その気持ちが、気遣いが本当に嬉しかった。
「横島くん……私、大事にするね」
「おう。じゃあ、また明日、な」
少し照れくさそうな横島が立ち去ろうとすると、愛子はその腕を捕まえ引き寄せる。
そのまま顔を近付けると、長い髪がふわりとなびく。
頬に柔らかい感触。
驚いて真っ赤になった横島の胸を手のひらでトン、と押すと、愛子も頬を染めて見つめ返す。
『横島くん……私ね、これくらいしか返せないけど』
クリスマスの夜。
恋人のための言葉が二人を包む。
言葉は鼓動にかき消され、呼吸も出来ないくらいに近付いて。
唇に触れるぬくもりが、鮮やかに煌めいていた。
(ふむ……今夜は二人のために曲を弾いてあげようか。ああ、自分が憎いね)
メゾピアノはそっと姿を隠し、窓の外で背を向けて浮かんでいる。
やがて彼の奏でる旋律が、聖なる夜を祝福していた。
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