たとえば

 たとえば――
 枝葉のように別れた世界があるとして。
 そっちの私は、同じようにこの風景が見えているのだろうか。
 仕事を受けて、除霊をやって、報酬を得て。日常があって。
 違うようで、同じ。同じようで、違う。そんな毎日。
 ひとつだけ確信を持てることは、別の世界でも私は同じ仕事をしているだろうってこと。
 他の仕事をしてる自分なんて、まったく想像できないから。
 けれど、もしも。もしも身の回りのことがちょっとずつ違っていたとしたら。
 たとえば――
 そこにいるはずの人がいないとしたら。
 胸の奥から晴れ晴れと、この瞬間を迎えることが出来るだろうか。

 何もかもが灰色だったあの頃。
 望んだものは何ひとつ手に入れられずに。
 願えば願うほど、指の隙間からこぼれ落ちていくだけで。
 苛立ちを胸に隠したまま、まだ見ぬ明日を待ち焦がれた。
 人付き合いはあまり得意ではなかったし、誰かに依存して誤魔化すのも嫌だから。
 私は翼が欲しかった。
 自分で決めて、自分で立って。自分の望んだ場所に飛んでいきたかった。
 そして今。
 私は自分の止まり木を見つけた。
 初めは自分一人だったけれど、次第に仲間が集まってきて。
 騒がしいけど温かい。願ったものが、確かにあって。
 だからこそ、私は胸躍らせることができるのかも知れない。
 仲間に感謝を。そして今は、この楽しみに耽るとしよう。
 程良い厚みにずしりと手応え。完全無欠の長方形。
 この世に楽しみ数あれど、こいつの魅力にゃ叶わない。
 幾重にも重なった線に浮かぶ、茶色いおじさまを一人ずつ数えて。
 つま先から頭のてっぺんまで、じわ〜っと心地良い感覚に包まれていく。
 これはただの代価ではない。
 無意味な浪費のためじゃない。
 怠惰と快楽に溺れて人生を終えられるほどの蓄えは、すでに積み上がっている。
 けれどそれだけじゃない。そうじゃない。これは証。私が命を燃やした証。
 それが芸術だったり、スポーツだったり、誰かの笑顔だったり家族だったりする人もいる。
 私はその形がたまたまこうだった、というだけ。
 だからきっと。永遠に。こればっかりはやめられない。

 思えばあの日。思い出すのもバカバカしいあの日。
 学生服を着た男の子が飛びかかってきたあの瞬間から。
 冗談で口にした時給に頷いて、どこまでもどこまでも彼は付いてきた。
 それから色々なことがあって――本当に、色々なことがあって。
 次から次へと災難が降り掛かってきて、もうやってらんないと何度思ったことか。
 そんな時でもまるで変わらず、せめて死ぬ前に男にして――とか、心底くだらないことで大騒ぎするその姿が、かえって落ち着いて考えるきっかけをくれたりもした。
 一緒にいるのが当たり前。
 おかげでスケベに悩まされることもあるけど、仇はいつも取ってあるから良しとしておく。
 けれど、もし。もしも彼と出会わなかったら私は――
 いや、やめておこう。
 理由は自分でも良く分からないが、それを考えるのは非常に不愉快な気がする。
 プライドがピキピキと音を立ててそれを拒む。
 いつからだろう。どうしてこんなにも気にするようになってしまったのか。
 伸ばすに任せた、お洒落とは程遠い髪型。へらへらしてて頼りない顔つき。
 お金が無くていつも同じ服装で、年がら年中スケベなこと考えててムードもへったくれもないニブチンで。
 卑怯で臆病ですぐ逃げようとするクセに、時々妙に腹が据わってたり。
 安い給料で、何度も死にかけるような目にあって、それでどうして彼は。
 考えて、すぐに答えに辿り着く。時間を無駄にしたような気がして、ため息ひとつ。
 彼はバカなのだ。バカ。ばか。馬鹿。とりあえず、バカ。
 普通ならとっくに逃げ出してる。私が向こうの立場なら、とっくにそうしてる。
 自分で言うのもアレだけど、私は楽な女じゃないし。
 それでもめげずに諦めずに、どこまでもトコトン付いてきて。
 あきれるくらいに。
 優しいバカ。
 だから、そろそろ。
 一人前と呼んでもいい彼に、話さなきゃいけないことを話してみようと思う。

 たとえば――
 永久就職って言葉、知ってる? とか。