蜂と英雄

モドル | モクジ

  第4話  

 石造りの階段や周囲の壁は長い間放置されていたせいか、踏みしめるたびに角が崩れて砂埃を巻き上げる。先へ進んでいくうちに壁の材質も黒く滑らかな光沢を放つ物に代わり、熱を発しない不思議な照明が通路を照らしていた。
 十分ほどその階段を下り続けると、一行の前に巨大な地下空洞とそれを遮るようにそびえ立つ重厚なゲートが姿を現した。ゲートには魔族の芸術らしい骨や筋、皮などで作られた装飾が施され、ただならぬ雰囲気を醸し出していた。
 土偶羅がゲートの脇にある黒いモニュメントを操作すると、ゲートは空洞が崩れそうな不安を覚えるほどの地響きを起こしながらゆっくりと開いていく。

「すごい……!」

 その光景に驚嘆の声を上げたのはジークだった。
 遙か昔に放棄された施設であるはずなのに、そこに眠っていた機械や装置の数々は現在の魔界の科学水準と同じか、あるいは上回るほどの物であった。
 待機したまま眠り続ける大小様々な人造モンスター達。
 それらの状況を表示する小型の情報端末。
 人間界へのゲートを開く転送装置。
 そして基地の中心部には魔界どころか人間界や神界の情報までも克明に映し出した立体映像(ホログラム)が展開され、それらは錆び付くことなく稼働し続けていたのだ。
 そして、その基地の中をせわしなく動き回る小さな群体があった。

「ぽ――――ッ!」

 土偶羅と同じように特殊な陶製のボディを持つ兵鬼、ハニワ兵。
 アシュタロスの死後も基地から供給されるエネルギーによって活動を続けていた彼らは、自身のプログラムに従いこの施設を管理し続けていたのだ。彼らは土偶羅の姿を見つけると奇妙な動きで飛び跳ねながらその周囲に集まってきた。

「おお、まだ稼働しとったのかお前達……長い間ご苦労だったな」
「ぽ――――ッ!」
「早速だがワシは少々調べ物をせねばならんのだ。施設のコンディションは問題ないな?」
「ぽ――――!」
「うむ。ベスパ、パピリオ、ここのコンピュータの規格は逆天号のそれと大差ない。お前達もデータ探しを手伝え」
「オッケー、土偶羅様」
「了解でちゅ!」
「土偶羅、念のためにルシエンテスの霊波コードを渡しておく。もし奴の活動が感知されたら表示できるようにしておいてくれ」
「うむ、任せておけ」

 土偶羅達がコンピュータを起動し情報の検索などを行っている間、ジークとワルキューレ、そしてハーピーは広い基地の中を見て回っていた。メインブロックの奥には通路が延び、さらに奥へと進めるようになっていた。
 部品の生産ラインや倉庫、動力室など基地の裏方とも呼べるセクションが続き、さらに一番奥には金の装飾がなされた豪華な扉があった。
 扉に鍵はかかっておらず、その先へと足を運んだジークらが目にしたものはおよそ魔界にはふさわしくない人工の庭園だった。
 青空と雲があり、小川には黄金の蜂蜜が流れ、遙か遠くまで続く緑の絨毯(じゅうたん)と咲き誇る色とりどりの花が涼やかな風にそよいでいる。鮮烈な色彩の花はゆれる度に甘美な芳香をあたりに漂わせ、その匂いに誘われてか蜜蜂や蝶が集まってくる。
 どういう仕組みなのかは解らなかったが、まさか魔界の荒野、それも地下にこんなものがあるとは思いもしなかった三人はしばらくの間その場から動くことができなかった。

「姉上、ここは一体……」
「私にも良く分からんが、アシュタロスのプライベートルームと言ったところか」

 周囲をキョロキョロと見渡しながら、ハーピーが言った。

「でもさ、これって……まるで神の住処みたいじゃん? 何でアシュ様はこんな……?」

 彼女の言葉にジークもワルキューレもハッとして押し黙る。
 アシュタロス、そしてこの場所が意味するもの――この姉弟にはそれがよくわかっていたからだ。

「とにかく少し歩いてみよう。何か見つかるかも知れない」

 ジークは気を取り直し、緑の上に足を踏み出していく。
 ワルキューレもハーピーも、黙ってその後に続いた。




 サク、サク、と足音を立てながら歩いていると、やがて先の方に青々と葉の生い茂った一本の大木とその木陰に置かれた机が目に入った。近付いてみるとその机には白いカバーの分厚い本が置かれていて、それ以外にめぼしい物は何も見あたらなかった。本には刻印の入った帯で封がしてあり、手に取ったワルキューレがいくら力を込めても解くことが出来なかった。

「ダメだな。私達ではこの本を開くことはできないらしい」

 ワルキューレは本をジークに投げてよこし、くるりと背を向けた。

「一旦戻るぞジーク」
「そうですね、この本のことは土偶羅に任せましょう」

 他に何も見つからなかった事もあるが、それ以上に。
 神の庭を模した部屋の風景は、彼らにとって目の毒であった。
 本を入にしたジーク達は来た道を引き返していった。




 土偶羅やベスパ、パピリオは相変わらず情報の検索を続け、ハニワ兵がその周囲を変わった音を立てながら走り回っていた。戻ってきたジークはベスパの傍に歩み寄ると、後ろから彼女が操作している端末の画面を覗き込んだ。

「記録はあったか?」
「ダメだね。ここの情報は兵鬼の設計やプログラム関係がほとんどで、アシュ様の個人的な記録はほとんど無いみたい」
「そうか」
「ちょっと待ってて。まだ調べてない領域があるから、もしかしたらそっちに――」
「ああ、頼む。どんな小さな事でも見逃さないようにしてくれ」
「オッケー。って、わっ」

 顔を上げたベスパは、ジークの近さに驚き声を上げてしまう。
 画面に集中して気付いていなかったが、ジークの顔がすぐ隣にある。
 ジークも初めキョトンとしていたが、すぐに気付いて少しだけ離れ、照れ隠しにコホンと咳払い。
 足元ではハニワ兵が「ぽ?」と二人を見上げていた。

 ぴきぴきぴきっ!

 そんなジークとベスパの背後で、怒りのオーラが噴き上がってゆく。
 修羅の如き形相をしたワルキューレが、こめかみに血管を浮かび上がらせてわなわなと震えていた。

「お前らそんなにくっつかんと話ができんのかッ。それはアレか、私に対する挑戦として受け取っていいんだなッ!」

 ワルキューレは拳銃を取り出し、安全装置を外して遊底(スライド)を引く。目は据わり、表情は薄ら笑いを浮かべている。
 今日の引き金は軽いだろう。

「ふふ、うふふふ……」

 ただならぬ様子に驚いたハーピーは、後ろからワルキューレを羽交い締めにして二人から遠ざける。

「お、落ち着くじゃん。なんかこないだから行き過ぎな姉弟愛を感じるんですけど!?」
「放さんかゴルァ! 乳がでかいだけのアホ女にジークの貞操が汚されたらどうしてくれるッ!」
「誰が乳がでかいだけのアホ女だぁぁぁッ!」

 問題発言は、ベスパの耳にも届いていた。

「いい加減にしろっての、このブラコン覆面女!」
「やめないかベスパ……って、痛っ、踏んでる、踏んでるからッ!」

 ブチ切れベスパを必死になって止めるジークだったが、何しろパワーの地力が違う。我を忘れて暴れる姉と部下にさんざん踏みつけられ、ジークはすっかりボロボロになってしまっていた。

「やれやれ、人に捜し物をさせておいて何を遊んでおるのだあいつらは」
「でも楽しそうでちゅ。いいなー」

 四人の珍妙なやりとりを見ていた土偶羅とパピリオは軽いため息をついていたが、やがてジークが脇に抱えている本が土偶羅の目に留まった。

(む、あれは)

 土偶羅はその本に見覚えがあった。いや、正確には土偶羅自身に見覚えはないのだが、彼のメモリに情報が記録されていたのだ。
 土偶羅はジークを呼び、彼の持つ本を指して尋ねた。

「お前、その本をどこで見つけた?」
「基地の最深部……アシュタロスの私室らしき場所で見つけた物だ。知っているのか?」
「うむ。それはアシュ様の手記だな」
「アシュタロスの!」
「これは個人的な記録だから、ルシエンテスとか言う奴のことも記録されている可能性は高いな」
「解析は可能か!?」

 土偶羅は頷くと端末のパネルを操作し、ジークの足元から台座のような物を出現させた。

「本を台座に置け。そうすれば記録を再生できる」

 ジークは本をそっと台座に置き、一歩下がってじっとその本を見つめていた。ベスパや他の仲間達も、その様子を黙って見守っていた。土偶羅はいくつかの操作を行った後、検索のキーワードを入力して実行ボタンを押した。
 本は青白い光を放ち、ひとりでに帯が解けて勢いよくページがめくられていくと、中ほどを越えたあたりで本の動きは止まる。そしてある一ページがふわりと宙に舞うと、ページを拡大したホログラムが映し出された。

 それはアシュタロス視点から見た基地の様子らしく、視界の中心に粗末なボロ布を纏った人物が写っていた。人物は腰がくの字に曲がってうつむきがちなことに加え、顔を布で深く隠していて一切の表情を読み取ることは出来ない。
 やがて、その映像に合わせるように音声が再生され始めた。
 土偶羅やパピリオにとってはかつての主であり支配者、ベスパにとってはそれ以上に特別な存在だった――アシュタロスの声。
 アシュタロスの声は、淡々と語り始めた。




 ――今は私が日本で時間移動能力者に吹き飛ばされてから、五百年も過ぎてしまっているようだ。
 基地に帰って状況を確認したところ、百年ほど前に人間界で人造モンスターの生産を命じていたヌルが倒されてしまったらしい。
有能な科学者だったヌルを失ったのは痛手だ。早急に後継の者を探さねばならない。

 ある日、私の作った砂嵐を越えて基地に尋ねてくる者がいた。
 どこで情報を得たのか、私の科学力と研究の噂を聞きつけて興味を引かれたと言う。その男はルシエンテスと名乗り、身なりはみすぼらしかったが高い魔力と科学に対する興味と知識を持っていた。
 ヌルの後継を探していたこともあり、私は奴を配下に加えることにした。

 ルシエンテスは想像以上に優秀で、失われたはずの秘術や魔術を数多く会得していた。特に兵鬼の開発に熱心で、その情熱と探求心はある意味狂気じみてさえいる。
 もっとも、魔族の科学者など大抵はそんなものだが。
 私は奴に研究室を与え、兵鬼の研究・開発を命じた。
 奴の提案する兵鬼の技術プランは有効なものが多く私も満足していた。

 当初より計画していた兵器の開発と生産も一区切りがついたので、私は一度究極の魔体の状況を視察しに行くことにした。
 とはいえエネルギー結晶のない魔体など粗大ゴミに等しいが、私が気にしているのはそこではない。
 究極の魔体と平行して開発させていたシールドは完成しただろうか。
 あれには様々な応用が期待できるため、むしろそちらを見に行くといった方が正しいか。

 幸運というものは、その前後に不幸を伴うものなのかもしれない。
 エネルギー結晶を奪われ五百年もの時間を無駄に消費してしまった不運な私には、それを埋め合わせるに足る幸運が待っていた。
 宇宙処理装置(コスモプロセッサ)――
 シールドの研究中この原理を発見したという土偶羅の報告に、私は久しぶりに声を上げて笑った。
 宇宙の構成自体を組み替えてしまうこのアイデアを実現させれば、全ての神も魔も私の敵ではなくなるのだから。

 ようやく――

 我が夢と運命の歯車が噛み合った。
 もはや数や勢力に頼る作戦に価値はない。
 私は魔界の基地を凍結することにした。
 あの男にももはや用はない。早々に退場してもらうとしよう。
 この計画の中心に、部外者は関わるべきではないのだ――

 魔界に帰った私の目に飛び込んできたのは、見覚えのない四本足のおぞましい魔獣が基地の中から走り去るところだった。
 そして、激しく揺れている魔獣の背に何事もないように立つルシエンテスの姿もあった。
 私はあんな兵鬼の開発など命じていないし、報告を受けた覚えもない。
 基地を飛び出し森林地帯へ向けて走り去る魔獣の後を私は追うことにした。

 魔獣は小さな集落にたどり着くと、手当たり次第に殺戮を開始した。
 その勢いと破壊力は目を見張るものがあり、さらに強力な毒素を撒き散らして周囲の生物全てを殺滅していく。
 そしてルシエンテスは、上空からその様子を見つめて満足げに笑っていた。
 振り返った奴の目は片方しかなく、今まで見せたことのない邪気に満ちていた。

『お帰りですかアシュタロス様。どうです私の作品は』
『これは一体何だ。私はこんな事を許可した憶えはない』
『研究室を与えていただいたおかげで、なかなかの傑作を作ることが出来ました……ファファファ!』
『貴様、このために私を利用したというのか』
『まさか。空いた時間に趣味で作らせてもらっただけですよ。あれはアシュタロス様に捧げるために作ったものでしてな』
『あんなおぞましい魔獣を差し出されて私が喜ぶとでも思っているのか?』
『さあ、どうでしょうなぁ。あなた様の究極の魔体には及びませんがね』
『なぜそのことを知っている!?』
『もはやあの魔体に興味などありませんのでご安心くだされ。あれは失敗作だ』
『質問に答えろ!』
『やはり魔神といえども難しいか。ふむ……』

 その直後私の背中から目玉が飛び、ルシエンテスの眼窩にすっぽりと収まる。これが奴に情報を送っていたのだ。私に気付かせぬまま尾行と盗撮を成功させるとは、侮ることのできん奴だ。
 奴は私の質問に耳を貸さず一人でブツブツと考え込んでいたが、その言葉に含まれていた単語に私は驚愕した。

 奴はあろう事か『あれ』の名を口にしたのだ――!

 さらに問いつめると、奴は狂気としか思えぬ真の目的を語り出した。
 私に近付いたのも、究極の魔体が『あれ』と肩を並べるに足るか見物するそれだけのためだった。
 しかも、実際に『あれ』を目にしたいとまで言い出したのだ。

 愚かにも程がある。

『あれ』を……ザ……何としても阻止する必要……ザザザ……戦いの末、奴を封印し魔獣も湖底に沈めた……ザ……奴の封印が解けぬよう二重に……ザザザ……間違っても『あれ』に近付けてはならぬ……『あれ』……すなわち……ザザザ……




 映像と音声はそこで終わっていた。
 音声にはひどいノイズが走り、肝心な部分がまったく聞き取れない。

「おい、アシュタロスは何と言っているんだ。あれ、とは一体何のことだ?」

 じれたジークが土偶羅の首根っこを掴み、ガクガクと揺らしていた。
 重要な部分が聞き取れなかったとはいえ、ルシエンテスが危険な事を行おうとしていた事はっきりとわかる。
 それもアシュタロスが警鐘を鳴らすほどの。

「そんなもんワシにわかるはずなかろーが。記録媒体が古くてメモリに障害が出ておるのだ。時間はかかるがどうにか修復してみよう」
「すまん、取り乱してしまった……データ修復の方、よろしく頼む」

 ここまで来て歯がゆい思いを味わうことになったジークは拳を強く握り締めていた。
 ベスパはそんなジークを椅子に座らせ、ポンポンと肩を叩いた。

「たまにはこういう事もあるって。それよりもジーク最近まともに休んでないんだし、少しゆっくりしたら?」
「……ああ、そうだな」

 ハニワ兵に差し出された紅茶を飲みながらジークらが休憩を取っていると、突然基地内にけたたましいコール音が鳴り響いた。

「どうした土偶羅」
「出たぞ。お前達の捜しとる奴の反応だ」

 その言葉を聞いて勢いよく立ち上がったジークの手から飲みかけのままのカップがこぼれ落ちた。

「場所は」
「座標は人間界ヨーロッパ、フランスのローヌアルプ地方。山岳地帯の小さな村だ」

 土偶羅の示した座標を頭に叩き込むと、同じようにスイッチの切り替わった仲間達と顔を見合わせる。

「よし、私と姉上、ベスパとハーピーの四人で現地に向かうぞ」
「ちょっと、私は置いてけぼりでちゅか!?」

 メンバーに数えられなかったパピリオが頬を膨らまして抗議したが、そんな彼女をベスパが椅子に座らせてなだめた。

「パピリオ、あんたはここで土偶羅様のサポートを頼むよ」
「イヤ! 私も一緒に行きたいでちゅ!」
「……今度の相手は本気でヤバイんだよ。それに軍人じゃないお前に何かあったら、小竜姫と約束したジークの立場が無くなっちゃうだろ?」

 しばらくは黙りこくっていたパピリオだったが、やがて顔を上げて頷いた。

「……わかりまちた。そのかわり今度、魔界の特大パフェをおごってもらいまちゅからね」
「フフ、わかったよ。じゃあ土偶羅様のこと頼んだからね」

 ベスパはパピリオの頭をくしゃくしゃとなでてやると、にっこりと微笑んで見せた。

「よし、急いで現地に向かうぞ。土偶羅とパピリオは引き続きデータの修復と解析を続けてくれ。終了次第連絡を頼む」
「うむ」
「いってらっしゃいでちゅ」

 土偶羅とパピリオに見送られ、ジークらは基地にある転送ゲートを使って人間界へと向かう。

(ついに動き出したかルシエンテス、お前が何をするつもりなのか必ず見極め、阻止してみせる!)




 ヨーロッパの片田舎。
 小高い丘の上に立てられた教会の中で、ブラウンのスーツとハットの老人と、金糸の髪の幼い少女、そして少女に寄り添ううつろな目をした犬が年老いた神父と対峙していた。外見からは想像も付かぬほどの禍々しい気を発しながら、彼らは一歩ずつ進んでいく。

「おのれ悪魔どもめ……このような所業を神が許すはずがない!!」

 十字架をかざす神父の目に映っているもの……それは教会の入り口から続く老若男女を問わず絶命させられたクリスチャン達のおびただしい死骸の山であった。
 彼らは例外なく心臓の位置に大きな風穴を開け、ほぼ即死の状態であった。

「ファファファ、退けと言ったのに退かぬからじゃよ。一見さんじゃからといって門前払いとは、おぬしの神はずいぶんケツの穴が小さいんじゃな」
「黙れ!」
「禁止されとる悪魔払いをこっそりやっとるお前さん達は許してもらえるのにのう。神もえこひいきをするのかね?」
「な……!?」

 言葉に老神父は驚きを禁じ得なかった。
 悪魔払いのことはこの村だけの秘密であり、まして初対面の男が知るはずがないのだ。

「他にもわかるぞ? ここには地下洞窟があり、そこがお前らの聖地と呼ばれとることもな。代々続く悪魔払いの、先祖伝来の秘密のようじゃなあ」
「き、貴様、どこでそれを!」
「なに、たった今お前さんの心から直接聞いたまでよ」

 老神父は心の底から凍り付いた。
 心を読まれている。
 人の形をしているが、中身は似ても似つかぬおぞましい魔物。
 霊能者としての本能が、激しく警鐘を鳴らし続けていた。
 老神父は十字架と聖書を握りしめ、ありったけの霊力を込めて老紳士に放った。
 霊力は雷の形を取り、目標を貫く光の矢と化した。
 老神父は悪魔払いとして豊富な経験と知識を持ち、顔に刻まれた年輪と共に蓄えられた霊力は並の霊能者を遙かに超えていた。
 だが傍らに立つ幼い少女が人差し指を突き出すと、放たれた光の矢はぴたりと空中に制止し、行き場を求めて小刻みに震えていた。
 少女はわたあめを巻き取るように指クルクルと回すと、光の矢がたぐり寄せられていく。

「こ、このバケモノめ!」

 苦し紛れに老神父がもう一撃を放とうとした時、ずっと黙っていた少女が口を開いた。

「やめて……嫌いなの……私にそれを向けないで……!」

 可憐で、そして儚さに満ちた美しい声だった。
 エメラルドのような光をたたえる少女の瞳に、わずかな波が立つ。
 彼女の指先が輝いたと思った一瞬の出来事だった。
 老神父の左胸を一条の光線が貫くと、彼は声を上げることもなくその場に倒れ込み、二度と立ち上がることはなかった。

「上出来じゃなアンジェラ。さて、ワシに付いてこい」
「はい」

 彼らこそ人間界に降り立ったルシエンテスと、彼に付き従う少女アンジェラであった。
 地下室へのフタを開き降りていくルシエンテスの後を、アンジェラと犬がついていく。地下には天然の洞窟が広がり、その一番奥に自然石で作られた魔法陣が敷かれていた。ルシエンテスはアンジェラをその中心に立たせ、懐から取り出したソフトボール大の透明な宝玉を手渡した。

「さあ、始めるぞ」
「はい」

 少女は球を抱きしめ目を閉じる。
 ざわ……と髪が舞い上がり、足元の魔法陣が黄金の輝きを放ち始める。やがて光はうねりを上げて洞窟の中を照らし、濁流のように球の中へと吸い込まれていく。凄まじいエネルギーの奔流にも動じることなく少女は目を伏せ続け、やがて光の濁流は勢いを弱め、完全に球に吸い込まれていった。
 エネルギーを注ぎ込まれた球は激しく黄金の輝きを放っていたが、時間と共に元の透明な宝玉に戻ってしまった。

「やり方は憶えたな? その球にエネルギーが満たされた時、輝きは失われることはない。そうなった時、それをワシの所に持ってくるのだ」
「はい」
「よろしい。それでは次の場所へ向かえ。ワシは別の場所でやることがあるでな」

 ルシエンテスがまず虚空に姿を消し、続いてアンジェラと犬が虚空へと姿を消す。
 魔界で反応を観測したジークらがここを訪れるのは、彼らが消えてしばらくしてからのことだった。


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