酒と屋台と男と女

 B.A.B.E.L医療研究課では、毎日夜遅くまでその明かりが消えることはない。勤務医がエスパーであると言うことを除けば現場の環境は他の医療施設と同じであり、カルテ制作などの作業が超能力で楽になるわけでもないからである。
 賢木修二はその日も夜遅くまで職場に留まっていた。女好きで軽い男だと言われる彼も、人の命を預かるこの仕事に関してはどこまでも真面目な姿勢を貫いている。もっとも、その反動で美人の女性患者にちょっかいを出すという構図が生まれているのかも知れないのだが。

「――これでよし、っと」

 椅子の背もたれに身体を預けて伸びをすると、逆さまになった視界に壁掛け時計が見える。一般の人々はとっくに仕事を終えてくつろいでいる時間だ。自分もそろそろ帰り支度をしようと身体を起こした時、誰かが乱暴にドアを開けて入り込んで来た。

「あーもー、賢木センセイいる〜?」

 不機嫌そうな声で賢木を呼んだのは、バベル内でも人気の高い美人受付エスパーチーム『ザ・ダブルフェイス』の一人、常盤奈津子であった。ずいぶんとめかし込んだ服装でメイクも決まっているが、目が据わっていて顔が赤く酒臭い。どうやら大量に飲んでいるようで、フラフラとした足取りで賢木に近づくと、デスクに両手をついてグイッと顔を近付けてきた。

「やあ、どうしたんだ? どこが具合でも悪いなら、俺が個人的に診察してやろうか?」
「それがさー、まーた蛍のやつが合コンで抜け駆けしちゃってさー。あたし一人あぶれてやンの」
「あー、またか……」

 以前任務上での合コンをしてから、賢木と奈津子は軽口混じりの会話を以前よりも頻繁にするようになっていた。最初は下心があった賢木だが、何度か他愛もない会話を続けてているうちに、彼女とは恋愛感情とは別の部分でウマが合うことに気が付いた。それは奈津子も同じだったようで、今では互いに愚痴や失敗談を語り合う仲となっていた。

「こんないい女を目の前にしてさー。みーんなテレパシーでコロッとやられちゃうのよー。もー!」
「わーったわーった、わかったから人の職場でクダを巻くな」
「飲まなきゃやってらんないわー。とことん付き合って貰うわよー賢木センセ〜」
「しょうがねぇな……ホラ、いつもの屋台で話聞いてやっから、なっ」
「飲んでやるんだからー!」
「へいへい」

 賢木は白衣を脱ぐと、足元のおぼつかない奈津子に肩を貸して外に出る。ふわりと顔にかかる髪からはいい匂いがするが、わけのわからない言葉を発して唸っている奈津子を見るとすぐに苦笑に変わるのだった。
 バベルの敷地を出てすぐのところに、いつもおでんの屋台が店を開いている。賢木のような独身にはありがたい店であり、値段も安くて美味い。オヤジさんの愛想も良く、気軽に立ち寄るにはもってこいの場所であった。奈津子を屋台の椅子に座らせると、賢木はさっそくおでんダネをあれこれと注文する。奈津子はと言えば、いきなり酒を注文して飲み始める始末だった。

「おい、あんまり飲むと身体に悪いぞ?」
「うっさいわねー、いいからあんたも飲みなさいよー」
「後で車運転するのに飲めるかっての」
「なにおー、あたしの酒が飲めないってかー」
「飲んでばかりいないで何か食え。この大根なんか美味いぞ」
「あーん」

 箸で一口大にした大根を奈津子に食べさせていると、ひな鳥にエサを与えている様なイメージが賢木の脳裏によぎる。しばらくそうやっていると奈津子も落ち着きを取り戻したのか、コップを握りしめたまま静かになった。

「正直さ、合コンじゃ蛍に持ってかれっぱなしだけど……男を『見る目』はあたしの方が上だと思うのよ……ね、賢木先生?」

 少し憂いを秘めたようなトーンで呟くと、奈津子は嘗めるように賢木を見る。賢木もまた無言で、その潤んだ瞳を見つめ、

「そのセリフはシラフの時に言って欲しいもんだ」

 と、おでんダネを持った皿を突き出した。ロマンチックという空気は、二人の間では三秒以上長続きしないようである。

「なによー。あたしゃ本気よー」
「はいはい。ほら、ガンモ食え。ガンモ」

 そうして再びおでんを味わっていると、奈津子はカウンターに突っ伏して盛大なため息をついた。

「なんでモテないのかなー、私。や、言い寄ってくる男はたくさんいるのよー。でもさ、いつも肝心な部分を掴みきれてないというか……」
(それは酒癖が悪いからじゃないのか?)
「賢木センセイはいいわよねー。何だかんだ言って女の子にモテてるみたいだしさぁ」
「うーん、コレはコレで苦労が絶えないもんだぞ?」
「自業自得じゃん」
「うぐっ……」
「はあ〜。へこむなぁ」
「そんなに落ち込むなって。ちゃんと君の良いところ見てる奴もいるさ」
「ぐすん、ホントに?」
「ああ、女を泣かせる嘘は言わないのが俺の主義だからな」
「賢木センセイ……」
「泣きたかったら年中無休で胸を貸してやるぞ?」
「それってつまり嘘って事じゃないのよバカーーーー!」
「い、いや違……ぐはぁっ!?」

 余計なことを言ったせいで賢木は見事なスリーパーホールドを掛けられてしまう。キッチリ動脈が締まってくるあたりが只者ではない。磨けば世界に通用する逸材ではないだろうか。いや、そんなことはどうでもいいのだが。

「あーもー、どこかに私のこと解ってくれるいい男はいないのー!?」
「ギ、ギブアッ……(がくっ)」

 そんな二人を見て、おでん屋のオヤジが大根と卵をとりながらさらりと言う。

「ならお二人さんでつきあえばいいじゃないですか」

 オヤジの発言に時が止まる。そして、

「いやいや、それはないって」

 ハモって思わず顔を見合わせる賢木と奈津子。そして爆笑。互いに「それはないわ〜」と連呼しつつ、再びおでんを口に運び始めるのだった。秋の夜は肌寒い。しかし、テンションの上がった二人にはこのくらいが丁度良いのか、それからも大いに話が弾んだ。
 酒が進んだ奈津子はすっかり酔いつぶれ、帰る時には賢木の背におぶさってぐったりとしている始末だった。
 広い背中に奈津子は頬をうずめていた。何だかんだ言ってちゃんと最後まで付き合ってくれるから、彼には女友達が多いのだろう。その事を考えた時、ふと疑問に思うことがあった。

「ねー、賢木センセイ」
「んー?」
「あなたは接触感応能力者(サイコメトラー)なのに、どうして……その、たくさんの人と触れあったりできるわけ?」
「医者が人に会いたくないんじゃ話にならないだろ」
「そうじゃなくて……その、女の子とか……結構えぐいこと考えてたりするの知ってるでしょ」
「……まあな」
「すごいね……私には無理だわ」
「まあ、何もかも全部心を読んでるわけじゃないし、それに――」
「それに?」
「いくら周りに文句を言っても、一人でいるのは寂しいだろ」
「……そうね」
「というわけで、だ」

 賢木は夜空を見上げ、程良く冷たい空気を一杯に吸い込み、

「ちったぁ気分が晴れたか?」

 背中の奈津子に微笑んで見せた。

「うん、ありがとうセンセイ」
「今度は俺が奢ってもらうからな」
「りょーかい」
「よし、それじゃあ高級和牛の焼き肉をだな」
「ふざけんなーーーー!」

 明るい月が二人を照らす。奈津子は合コンでの出来事などすっかり忘れ、この時間を楽しんでいた。男と女、いろんな関わり方があるが、こういうのも悪くないと二人は感じている。傍目からはカップルにしか見えない二人だが、当人達がそれを意識することになるのはもっと先のことになりそうである。








 〜どうでもいいおまけ〜



 コメリカ特務エスパー、ケン・マクガイアのおでん屋台体験記

「オー、これがニッポンの屋台ですネー!」
「いらっしゃい。元気だねぇお兄さん」
「熱燗できゅっ、赤提灯できゅっとやるのがニッポンの風習だと聞いてマース」
「ははは、よく知ってるねぇ」
「そ、それじゃアレを、ジャパンに伝わるという伝統のアレをやってもいいデスカー?」
「ああ、アレね。いつでもどうぞお客さん」
「おやじ、一本つけてー!」
「あいよ」
「もう一本!」
「あいよ!」
「もう一本デース!」
「お客さん、そろそろ身体に毒ですぜ」
「オーウ、これがワビサビ……(じぃ〜ん)」
「通だねぇお兄さん。このちくわぶはサービスだよ」
「なんかグニグニしてるネー。後で近所の野良犬にあげるヨ」




 おしまい