パイレーツ・オブ・チルドレン(2)


 海藻が垂れ下がったマストの上で、カモメが甲板を見下ろしている。フライング・ダッヂマン号に拉致された横島とおキヌは、別々の場所に移されるところであった。

「横島さん」
「と、取って食いやしないんだな。こっちへおいで」

 クラゲ頭の海賊に連れられて行く横島を心配そうな目で見送ると、おキヌもヒトデ頭の海賊に案内され、後を付いていく。先を行くヒトデの海賊がタレ目で常に口が半開きの、間抜けた顔をしているのがせめてもの救いではあった。
 案内された部屋にはズラリと並んだロウソクの炎が揺らめいており、仄暗い室内に陰影を作り出している。内装や装飾品は例外なく古びたものばかりで、中世の時代のまま時が止まっているようであった。

「せ、船長。む、娘を連れてきたんだな」
「ご苦労、ディック・ワーヴ。お前は俺の命令があるまで席を外せ」

 明かりが届いていない部屋の奥から声が響いた。

「アイアイサー!」

 ディック・ワーヴ――そう呼ばれたヒトデ頭の海賊は、ピシッと敬礼のポーズを取って部屋の外へ姿を消す。
 暗い部屋の奥から、床板を軋ませて近づいてくる足音。思わず足が震えながらも、おキヌは目を逸らすことだけはしなかった。

「俺の船は気に入ったかね、お嬢さん」

 顎から伸びた無数の触手をくねらせ、テンタクル・ジョーンズが姿を見せた。

「あ、あなたの目的は何ですか? なぜ私たちをこんな場所に――」
「海賊が財宝を奪うことに理由など必要ない。欲しいと思ったら手に入れる。それだけの事だ」

 おキヌの言葉を遮り、テンタクル・ジョーンズは強い語気でそう答える。
 残念なことに、自分はこの怪物の眼鏡にかなってしまったのだとおキヌは理解した。

「俺が怖いか?」
「え?」
「顔にそう書いてある」
「それは……」
「まあ、今まで見た人間の中ではずいぶん落ち着いている方だがな」

 パイプに火を付け、テンタクル・ジョーンズはおキヌを見つめた。

「……付いてこい」

 くるりと背を向け、テンタクル・ジョーンズは部屋の奥へと歩き出す。戸惑いながらも他に仕方がなく、おキヌも後に続いた。
 部屋の突き当たりにはパイプオルガンがあり、その傍らに置かれた宝箱から、テンタクル・ジョーンズは一着のドレスを取り出した。

「これを着ておけ」
「これは……どうして私に?」

 古びてはいるが、上等なシルクのドレスだった。

「着替え終わったら部下に船を案内させる」

 おキヌにドレスを押しつけ、テンタクル・ジョーンズは部屋を出て行ってしまった。



 横島は、物置のような狭い船室へと連れ込まれていた。部屋の中は何に使うのか良く分からない道具が雑多に積まれており、足元には紙らしきものが大量に散らばっていた。

「遊びに来たんじゃないんだからな。えーと、どこ行ったかな……じっちゃん! じっちゃん!?」

 傘の下にぎょろっとした目玉を光らせるクラゲ頭の海賊は、大声を出しながら部屋をガサゴソと漁る。すると、床板がガチャリと開いて、下から奇妙な物が突き出てきた。赤黒くゴムのような太い筒に、丸い目や口が付いており、髪の毛と思われる部分にはびっしりと細かい触手が蠢いている。いわゆるイソギンチャクの怪物であった。

「あっ、いた。じっちゃん! ホラ、欲しがってた助手だよ!」
「でっけえ声出すなトーリ! 聞こえとるわい」

 床下に引っ込んだイソギンチャクは、指を出してこっちへ来いという仕草をした。

「行けよ。船長より怖いんだ気ぃつけろ」
「……なあ、ちょっといいか?」
「ん、なんだ?」

 ボソッと耳打ちするクラゲ頭のトーリに、横島は尋ねた。

「さっきからどこかで見たような展開が続いてんだけど」
「この物語はフィクションであり、実在するメディアや団体、人物とは一切関係――」
「お前もかいッ!」

 突然虚ろな目をして機械的に喋るトーリに、横島は頭が痛くなってきた。間抜けな状況ではあるが、逆らえば何をされるか分からない。郷に入りては郷に従え。横島は床下の部屋へ降りてみた。
 上の部屋とはうって変わってこちらの部屋は綺麗に整頓されており、部屋の隅に置かれた台に向かってイソギンチャクの年老いた海賊が座っていた。壁には古ぼけた世界地図が掲げられているが、横島が知っている世界の形とは違っている。

「これは? 俺はここで何をすりゃいいんだ?」

 地図を見上げながら呟く横島に、イソギンチャクの海賊は羽根ペンを投げてよこし、言った。

「そりゃあ海図だ。と言っても、海底の海図だけどな」
「海底の海図?」
「この船は海の上だけでなく、深く暗い海底も進む。そのための海図をワシが描いとるんだ。かれこれ五百年は一人で描いてきたが、まだ完成しとらん」
「海底っておい。まさかこれから潜ったりするんじゃないだろーな」
「心配するな。この船に乗ってる間は死にやしねーよ」
「そ、そうか」

 それを聞いて胸を撫で下ろす横島に、イソギンチャクの海賊は語気を強める。

「んなこたぁいいからさっさと仕事始めろ」
「仕事って、これ描くのか?」
「お前は手先が器用そうだからな。指示通りに描け。ワシは最近老眼できつくてな」
「まさか海賊船でこんなモンを描くことになるとは……」
「あ? 甲板で血へど吐く重労働のがいいのか?」
「……やらせてもらいます」

 羽根ペンを握りしめ、横島は海図の制作に取りかかるのだった。



 トーリは、横島がちゃんと働き始めたのを見て部屋の扉を閉めた。ぷるっとした透明の頭が自慢の彼は、汚れが溜まっている場所があまり好きではない。さっさと持ち場に戻って甲板でもぴかぴかにしようと思った矢先、ヒトデのディックが連れて歩く少女の姿にトーリの動きが止まる。

「次はキッチンなんだな。あ、あんた魚食べられますか?」
「はい、お魚は好きですよ」
「な、ならいいんだな。他に食い物ないから」

 ヒトデのディックはたどたどしく説明しながら、長い髪が美しい少女――おキヌをキッチンへと案内していた。トーリはその後ろ姿をじっと見つめながら、

「……いい」

 と呟く。
 他の海賊たちも手を止めて、おキヌのドレス姿に見とれていた。
 キッチンの説明を終えてディックが扉に手を掛けた途端、勢いよく扉が開いて向こうから海賊仲間が雪崩をうった。その一番下、つまり扉に正面から貼り付いていたのはトーリである。

「な、何やってるんだな」
「あ、いや、ははは。ゴホン、余計なところ触ってないだろーなお前。キッチンは神聖なんだぞ。俺たちバケモノだけど」
「も、持ち場に戻らないと、せ、船長に怒られるんだな」
「わーってるよ。でもずるいぞ、お前ばっかり」

 トーリがふてくされたように言うと、彼らの背後から甲板を軋ませる足音が近づいてくる。

「……何をしてるんだお前たち」
「あ、せ、船長。いや、ディックがちゃんと仕事してるかなーなんて」

 それから気まずい沈黙が流れ――

「さっさと持ち場に戻れバカどもーーーーーッ!」

 テンタクル・ジョーンズの一喝が、ビリビリと空気を震わせた。
 海賊たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていき、トーリは走りながら「この物語はフィクションであり、実在するメディアや団体、人物とは一切関係ありません」と虚ろな目で機械的に叫んでいた。

「あのな……」

 ブルー○スお前もかと言わんばかりにテンタクル・ジョーンズは嘆息し、くるりとディックの方へ振り返る。

「で、案内は終わったのか」
「お、おおよそ終わったんだな」
「そうか。じゃあお嬢さんは俺と一緒に来てもらおう。ディック、お前はロック・ジョーに画材を持って客室まで来るよう伝えろ。それが終わったら持ち場に戻れ」
「アイアイサー!」

 ヒトデのディックはピシッと返事をし、立ち去った。おキヌはテンタクル・ジョーンズに連れられて、客室で待たされることになった。
 それから程なくして、客室に一人の海賊が入ってきた。イソギンチャクの頭を持つ老海賊――彼がロック・ジョーであるらしい。

「遅いぞロック。呼んだらすぐに来ないか」
「海図の指示を小僧に伝えとったんだから仕方ねーだろ。それとも、もう描かなくていいのか船長?」
「……相変わらず口の減らない奴め。まあいい」

 テンタクル・ジョーンズはアンティークな椅子に座らせたおキヌに目線を移し、続けた。

「このお嬢さんの絵を描いてもらおうと思ってな」
「あん?」

 細かい触手をうねらせながら、ロック・ジョーはおキヌをまじまじと見つめ、笑う。

「そういうことか。アンタもまだまだ慰めの必要な男ってわけだ」
「余計な口をきくな。とにかく、頼んだぞ」
「やれやれ、年寄りを酷使しおって」
「ぬかせ」

 軽口のようにも聞こえる言葉を交わすと、テンタクル・ジョーンズはおキヌを一瞥してから客室を出て行った。

「あ、あのー」

 椅子に座らされたままのおキヌが、恐る恐る口を開いた。

「質問には答えてやる。だからそこを動くんじゃねーぞお嬢ちゃん」

 ロック・ジョーは絵を描く準備をしながら答える。

(ええと、何から聞けばいいのかしら)

 疑問だらけで知りたいことは山ほどあったのだが、とりあえずおキヌはこの船について訪ねてみることにした。

「この船は一体何なんですか?」
「連れてこられた時に聞いたろう。フライング・ダッヂマン(幽霊船)だと。この船はな、海で死んだ亡者どもの魂が集まって出来とるんだ」
「じゃ、じゃあ船員さんたちやあなたは……」
「そう、ワシらは海で人生を終えた人間のなれの果てだ。海で死ぬのは苦しくてな、成仏できずに彷徨う事が多い。この船はそんな魂を拾い集めては、長い時を漂流し続けておる」

 準備を整え、おキヌのデッサンを始めながらロック・ジョーは言う。

「それならどうして私や横島さんを? まだ生きてますよ?」
「時々は死にかけた人間の奴隷を集めもするが、あんたらは特別じゃ。話せば長くなるが、せっかくの生きた客だ。退屈しのぎに聞かせてやるとしよう――」

 コンテを手に、イソギンチャクの老海賊はフライング・ダッヂマンにまつわる昔話を語り始めたのだった。



 子供たちが大海原へと漕ぎ出してから、約一時間が経過しようとしていた。

「進めー! 進路は東へヨーソロー!」

 舳先に立ち、天竜童子はサーベルを構えて上機嫌である。海賊の帽子を被って、気分はすっかり船長と言ったところだろうか。

「操縦してるのはオラなんだけどな。いい気なもんだべ」
「でもさ、僕たち追いつけるのかな?」

 舵輪を持つ娑婆鬼の横から、ケイが尋ねた。

「オラの見たところ、奴らは海で死んだ魂の変化だな。いくら数が多くても、妖怪のオラたちとは地力が違うべ。もうじき追いつくはずだ」
「でも、あのタコ頭の船長はなんていうか……全然違う気がした」
「む。確かにあいつだけは霊力の底が見えなかったべ。一体何者か知らねえが、注意はしておいた方がええだな」
「兄ちゃん、無事だといいな」

 いずれ衝突するであろうフライング・ダッヂマン号のとことを想像して、娑婆鬼とケイは気を引き締める。一方、シロとタマモ、そしてパピリオは船縁に集まって海を見つめていた。

「あんた、顔色が悪いでちゅよ」
「誰に向かって言ってるのよ」
「お前じゃなくて、髪が白い方でちゅ」

 平然としたパピリオとタマモの間に挟まれて、シロの表情は真っ青であった。

「は、ははは、何を言うでござるか。拙者は常に心頭滅却、無我の境地に達しているでござるよっ……うぷっ」
「思いっきり船酔いしてまちゅね」
「シロ、本当に大丈夫なの?」
「な、何のこれしき! 先生とおキヌちゃんを救い出すまで、拙者に敗北などという文字は――」

 言いながら、シロはグッタリと手すりにうなだれてしまう。ものすごく不安を感じながらも、パピリオもタマモもそれを口には出さずにおいた。

「むっ」

 その時、舳先に立って望遠鏡を覗く天竜童子が声を上げた。レンズの向こう側に見える水平線に、見覚えのある船影が姿を現したのである。

「敵影発見じゃ! 娑婆鬼、一時の方向に舵を切れ!」
「あいよ!」
「我らの足なら追いつけるぞ! 進めーーーッ!」

 天竜童子の号令の元、ブラック・ドッグ号は一直線にフライング・ダッヂマン号を追い始めた。潮風を帆に受け、波を切り裂いて船は進む。確実に距離を詰め、あと一息で追いつける――そう思った時、フライング・ダッヂマン号の周囲に青白い光がポツポツと浮かび上がっていくのが見えた。

「む、なんじゃ?」

 ふわふわと舞うその光は天竜童子たちの乗る船を取り囲むと、次第にその姿が鮮明になっていく。
 人魂のような身体に大きく丸いひとつ目、やたらと浮き上がった青筋。小さな手にひしゃくを持つそれは、日本の海で恐れられる妖怪――船幽霊の群れである。

「ひしゃくをくれーーーーーッ!」

 船幽霊たちは一斉に群がると、ひしゃくの水を船にぶちまけ始めた。

「うきゃーっ!? 何でちゅかこいつらーーーッ!?」
「船幽霊だわ! こうやって水をかけて、船を沈めるのよ!」

 頭上から海水をモロに浴びたパピリオの横で、タマモが叫ぶ。
 おキヌの臨海学校に付いていった時、彼女はこの妖怪の大群と出くわしたことがある。

「きっとあのタコ頭がけしかけたんだわ。こいつらをやっつけないと、追いつくどころかみんな沈められちゃうわよ!」

 手近に飛んできた船幽霊を平手で一閃すると、タマモは頭上に飛び交う船幽霊を睨みつけた。

「おのれ姑息なマネを! 総員、迎撃戦闘開始じゃ!」

 サーベルを投げ捨てて異空間から神剣を引き出すと、天竜童子は跳ぶ。仲間たちもそれぞれ四方に散って、群がる船幽霊を迎え撃つ。

「シャーーーーッ!」

 ケイは化け猫の本性をむき出しにして、素早く飛び回って船幽霊を仕留めていく。牙も爪も母のそれには遠く及ばないが、船幽霊ぐらいを仕留めるには充分である。

「お、はりきってまちゅねー」
「うん、なんだか今回は影が薄いから頑張らないと!」
「……せ、切実でちゅね」

 マストを素早くよじ登って船幽霊を捕まえるケイを、パピリオは複雑な表情で見上げていた。
 一匹一匹の力は弱く大した敵ではない船幽霊だが、多少仕留めても次から次へと海面から湧いてきてキリがない。こうしている間にも、フライング・ダッヂマン号は遠ざかってしまう。

「ちくしょー、このままじゃいつまでたっても追いつけないよ」

 ケイはマストの上でひとりごちながら仲間の様子を見たが、皆同じように敵の数にうんざりしているようだった。
 なんとかしなきゃ――そう思った瞬間、

「ふぎゃっ!?」

 死角から水を浴びせられてケイは飛び上がった。耳の中に水が入ってしまい、化け猫にとっては気持ち悪くて仕方がない。反射的に身体をブルブル震わせて水を飛ばした時、運の悪いことに船が波で傾いてしまった。

「わ、わ、うわわわーーーー!?」

 両腕を回して抵抗を試みたものの、やはり重力には逆らえない。ケイは二度目の派手な落下をするハメになってしまった。しかし、今回はただ落ちたりはしない。猫の身のこなしで身体の向きを変え、帆に爪を立ててブレーキをかける。カーテンにしがみついた子猫みたいな姿勢で下に降りていくと、くるりと宙返りをして甲板に着地。ケイはえっへんと胸を張る。

「へへっ、そう何度も落ちてばっかりじゃ――」

 直後、ばきっ! と音がして床板が抜け、ケイは顔面から下の階に落ちた。
 言ってる傍から落っこちて少し人生が嫌になりかけたが、何かを掴んでいる感触に気付いて身体を起こす。
 開いた手のひらには、丸い珠のようなものがあった。落っこちた時、何かの拍子に握りしめてしまったのだろう。

「あ、これって兄ちゃんが出したやつだ」

 赤くなった鼻をさすりながら、ケイは思い出す。
 横島はこれを使って、テンタクル・ジョーンズを一瞬にして氷漬けにしていた。どうやって使うのか自分には分からないが、状況を突破する鍵になるかも知れないと直感したケイは、周囲の床を探し回って三つの文珠を拾い集めた。

(これで全部かな。急いで戻らないと)

 落ちてきた穴によじ登って顔を出すと、ちょうど目の前でシロが霊波刀を振り回しているところだった。

「はあはあ……うっぷ! こ、この!」

 シロは口元を押さえたまま飛び交う船幽霊を追い払うが、相当具合が悪いらしく動きにキレがない。

「姉ちゃん大丈夫?」
「だ、大丈夫でござるよ。そっちこそ……おえっぷ……け、怪我とかしてないでござるか」
「うん、大丈夫。それよりこんなの見つけたんだ」

 ケイはポケットから、ひとつの文珠を出してシロに見せた。

「それは先生の! よく見つけたでござるな。これさえあれば一気にカタを付けられるでござるよ」
「どうやって使うか知ってる?」
「えーと、確か発動したい効果を文字にしてイメージする……だったっけ。先生の文珠は、状況に応じてどんな風にも使い分けられるんでござるよ」
「すごいなあ! じゃあ、こいつらまとめてやっつけちゃおうよ」
「それなら、大きな爆発なんか良いのでは?」
「ばくはつ、ってどう書くの?」

 しばしの間、二人の間に沈黙が続く。

「せ、拙者にそんなこと聞くなっ」

 シロは思わず目を逸らす。どうやら彼女もそちらの方は明るくないらしい。仕方がないので、ケイは他の連中にもそれぞれ聞いて回ったが――

「知らん」
「知らねーべ」
「知りまちぇん」
「……さあ?」

 と、結果は惨憺たる有様であった。

「うわーっ、みんなダメじゃん!」
「まさに猫に文珠でござるな」
「それ、間違ってる気がする……」

 せっかく文珠を手に入れても、肝心のキーワードを知るものがいなくては意味がない。進退窮まったと頭を抱えていると、船の後方から何かが近づいてくる。高速で水面を走るそれに気が付いたシロは、乗っている人間の姿を見て声を上げた。

「美神どの!」

 白いボートに乗っているのは、ケイにとって見覚えのある派手な女――美神令子と、見たことのない男が二人。シロが手を振ると、ボートはブラック・ドッグ号の真横に並んで速度を合わせた。令子は大柄な男に操縦を任せると、シロに向かってものすごい剣幕でまくしたてた。

「こんな所で何やってんのよあんたは! 他の連中はどうしたの!?」
「い、いや、実は大変なことになりまして……」

 シロは尻尾をぱたっと股に挟み、すっかりビビリ状態である。

「んで、何の騒ぎなのよこれは? 今回の依頼の相手はこいつらなの?」
「こいつらは単なるザコでござる! 我々の敵はこの先の――」

 シロが指差す方向には、先を行くフライング・ダッヂマン号の姿が。

「……どうやら事情が複雑らしいわね。話は後で聞くとして、この状況をどうにかしないと」
「美神どの、これで奴らを――!」

 シロはケイから文珠を受け取ると、令子に向かって投げてよこす。

「あら、用意がいいじゃない。それじゃパパッと片付けてあげるわ!」

 令子は文珠に念を込め、飛び交う船幽霊の中心に向かって投げつけた。刹那、文珠が閃光を放ち、船幽霊たちは光に包まれた。

「? 何も起きてないでござるよ美神どの」

 派手に光りはしたものの、船幽霊の数はまるで減ってはいない。シロが怪訝そうな顔で尋ねると、令子は「これでいいの」と船の上を見上げながら答えた。

「船幽霊には昔から退治の仕方があるの。よく見てみなさい」

 シロとケイが目を凝らしてみると、船幽霊たちのひしゃくからぱったりと水が出なくなっている。
 令子は文珠に【抜】の文字を込め、ひしゃくの底をまとめて抜いてしまったのである。水を満たせないひしゃくを持たされた船幽霊はヒステリーを起こし、金切り声を上げながら次々に海へ戻っていく。

「す、すっげー!」
「さすが美神どの! こ、これでようやく先生とおキヌちゃん……を……」

 勝利に安堵したのも束の間、きゅーっと変な声を出して、とうとうシロは目を回して倒れ込んでしまった。



「――まさか、今回の相手がフライング・ダッヂマンだったなんて」

 ブラック・ドッグ号に乗り込んで事情を聞いた令子は、腕を組んで幽霊船の名を呟いていた。

「さっきは油断したが、たかが海賊船の一隻など我らの敵ではないっ。いざ決戦へ!」

 自信たっぷりに宣言する天竜童子だったが、令子は表情を緩めぬまま言葉を挟む。

「ちょっと待ちなさい」
「なんじゃ? 横島たちはちゃんと助けてやるから心配は無用じゃぞ」
「悔しい気持ちは分かるけど、おキヌちゃんと横島くんを助けたらさっさと逃げたほうがいいわね」
「逃げるだと!? おぬし、余や余の家来たちがあいつに負けるとでも言うのか!」
「負けることはないでしょうけど、きっと勝つことも出来ないわ」

 真面目に答える令子に、一同は顔を見合わせる。子供の集まりとは言え、ここにいるのは神族や魔族、妖怪といった人間より遙かに強力な存在である。にもかかわらず、彼女ははっきりとそう言い切ったのだ。

「何か知ってるんでちゅか、あのタコのオッサンのこと」

 右手でひさしを作り、フライング・ダッヂマン号を眺めながらパピリオが尋ねた。

「説明は後よ。あんたたちが暴れてる隙に私がおキヌちゃんと横島くんを助けるから、適当なところで引き揚げなさい」
「ええい、一太刀も浴びせぬままおめおめ引き下がれるものか!」
「ケンカするのは自由だけど、深入りしてどうなっても知らないわよ。私はちゃんと警告したからね」
「……いちおう憶えておくでちゅ」

 雪辱を果たすことに燃えて話を聞いてない天竜童子に代わり、パピリオが呟く。

(あれが本物のフライング・ダッヂマンだとしたら、急がないとおキヌちゃんが危ない――)

 海上を彷徨う幽霊船には隠された伝説があり、令子はそれを知っていた。



「船長、奴ら船幽霊どもを追い払ったみたいですぜ」

 透明な頭をレンズ代わりにして様子を見ていたトーリが報告する。テンタクル・ジョーンズはパイプに新しい煙草を詰めながら言った。

「足止めにもならなかったか……まあいい。よく聞けお前たち! 連中はどうしても俺たちと遊びたいらしい。せいぜい丁重にもてなしてやれ!」

 船長の号令に、海棲生物の姿をした海賊たちは粗野な笑い声を上げて応じていた。
 そして客室では、ちょうどおキヌの絵が完成するところであった。

「――ま、そんなわけでワシらは何百年も海を彷徨い続けとるんだよ」
「そんなことが……」

 最後の一塗りを終えると同時に、ロック・ジョーの昔話は締めくくられた。
 椅子に腰掛けたままのおキヌの瞳は滲んでおり、それを見た老海賊は目を細めて微笑んだ。

「あんたは優しい子だな。ジョーンズが絵を描かせた理由が分かったよ。姿形は別人だが、彼女によく似とる」

 絵を片付け、ロック・ジョーが立ち上がろうとした刹那、爆音と共に船が大きく揺れた。

「きゃっ!?」
「ほう、この船にケンカ仕掛けるような奴らがいたとはな。しかし、もうちっとタイミング読めねぇといけねぇや」

 騒ぎが収まるまでここでじっとしてろと言い、ロック・ジョーは部屋を出て行く。おキヌは恐る恐る窓に近づいて外の様子を覗うと、併走する黒い船から大砲が撃ち込まれ、それに混じって子供たちが飛んでくるのが目に映った。

(みんな助けに来てくれたんだわ――!)

 甲板では乗り込んできた子供たちと海賊が入り交じって乱戦となり、戦いの火蓋が切って落とされた。無象無象のザコを蹴散らす子供たちの前には、それぞれザコとは格が違う敵が立ちはだかっていた。

「お、お前たちは、ぼ、ぼ、僕が相手をするんだな」

 天竜童子と娑婆鬼の行く手を遮るのは、ヒトデ頭のディック。二人を捕まえようと両腕を突き出すが、動きは鈍く避けるのは容易い。天竜童子と娑婆鬼は左右に跳び、そこからディックの顔面めがけて先制の一撃を叩き込んだ。

「どうじゃ、余の一撃思い知ったか!」
「遅すぎてあくびが出るべ、ヒトデ野郎」

 頭部に神剣と鉄拳の重い一撃を食らったディックは、しゅうしゅうと煙を上げながら硬直し、動かない。

「……死んだのか?」
「さあ?」

 二人がそーっと顔を覗き込むと、ディックは突然動き出し、

「い、痛い……」

 と大粒の涙を浮かべ、頭をさする。ただそれだけだった。

「んな――!?」
「な、なんちゅう頑丈な奴だべ! フルパワーで叩き込んだのにッ!?」
「しゅ、守備の厚さには定評があるんだな。つ、つらの皮が厚いとも言うんだな」
「ええい、だったら音を上げるまで叩いて叩いて叩いてやるわっ!」
「明日はどっちだべ!」

 打つべし打つべし! とばかりに、天竜童子と娑婆鬼はディックに飛びかかっていった。



「――あーあ、残念だなあ。二人ともあと何年かすればいい女になるんだろうけど。俺としちゃー、髪がまっすぐでサラッとしてて清楚かつ控えめな感じの子がグッと来るんだよなー」

 一方では、透明な頭をぷるんと揺らしてトーリが目の前の少女二人――パピリオとタマモに向かって嘆息する。

「失礼な。今でも充分いい女でちゅ」
「つまらない前置きはいいから、そこをどいて」

 肩をすくめる仕草をして、フッとトーリは笑う。

「こう見えても俺ぁ甲板長って役職持ちでさー。俺の持ち場でおイタをする悪い子にはお仕置きしなきゃーなんねーのよ」

 軽い調子で答えるトーリを半眼で睨みながら、パピリオはいきなり収束した霊波を撃ち込んだ。完全に不意を突いた形で、避けるヒマさえ与えない。光の筋は敵の身体を貫き、トーリはその場に崩れ落ちる――はずだった。

「おほー、こりゃ熱いねー。ちっちゃいのにいいモノ持ってるじゃないの。俺には効かないけどな、がっはははは!」

 だが、トーリにはまるで効果がなかった。ならばと連続して数発の霊波を撃ち込むパピリオだったが、結果は全て同じ。トーリの服には大きな穴がいくつも開き、そこからは透明なボディが見えていた。

「ど、どーなってるでちゅかコイツ!?」
「霊波がすり抜けたわ……まさか」
「そ。俺の身体は特殊な偏光ガラスみたいなモンでなぁ、霊波の類は効かねーのよ。フライング・ダッヂマン号のクリスタル・ボーイたぁ、このトーリ様の事よッ!」

 上着を脱いでマッシヴなポーズを決めるトーリに、パピリオとタマモは身構える。

「楽に通してくれる相手じゃなさそうね。くれぐれも私の足を引っ張らないでよ」
「そっちこそ、誰に向かってもの言ってるでちゅか」
「さーて、かかってきなお嬢ちゃんたち。二人まとめて相手してやろーじゃないの! クラゲの触手はチクッとするぜーーーッ!」

 モミアゲのように伸びた触手をゆらゆらと動かしながら、トーリは鶴の構えで二人を迎え撃つ。



「うっ……グロエップ」
「だっ、大丈夫姉ちゃん?」

 船尾近くの甲板では、シロが相変わらずの状態であった。それでも敵が近寄ると霊波刀で切り伏せているのだが、長く持ちそうもない。しゃがみ込んで苦しんでいるシロの背中をケイがさすっていると、ひときわ強い霊力を放つ相手が近づいてくる。

「船酔いしとるよーな小娘がフライング・ダッヂマン号に乗り込んでくるたぁ、ワシらもそろそろヤキが回ったってぇ事か。ったく、甲板の連中は何してやがんだ」

 イソギンチャクの老海賊、ロック・ジョーは、忌々しそうにブツブツとぼやきながらシロに近づく。
 ケイは咄嗟にシロの前に立ち、両手を広げて通せんぼした。

「ね、姉ちゃんは具合が悪いんだ。僕が相手をしてやるっ」
「いい心がけ……と言いたいところだが、お前じゃ話にならんなぼうや」
「や、やってみなけりゃわかんないだろっ!」
「ほれ」

 毛を逆立てて威嚇するケイの口に、ロック・ジョーは小さな切り身のような物を放り込んだ。ぷるっとして、歯ごたえがあって美味しい。

「ふにゃっ!?」

 ついモグモグとそれを食べてしまったケイは、突然腰を抜かしてその場にへたり込んでしまう。

「猫にイカを食わせると腰が抜けるって言うのを知らんのか。猫妖怪」
「ううう、ち、力がはいんない」
「さて、次はそっちの小娘だぁな」
「な、舐めるなッ!」

 近づいてくるロック・ジョーに霊波刀で奇襲を掛けるシロであったが、あっさりと手首を取られてひねり上げられてしまう。

「足元も定まってない剣では、斬れる物も斬れんわ馬鹿者!」

 叫びながら、ロック・ジョーはシロのみぞおちに手のひらをかざす。次の瞬間、どんっ! という衝撃がシロの身体を貫いていた。

「うぶっ――!?」

 一度力なく崩れ落ちた後、シロは船縁に向かって駆け出し、一気に戻していた。

「おえっぷ……はあ、はあ……」
「それでスッキリしただろ。ほれ、ちゃんと構えてかかってこんかい」
「な、なぜ敵に塩を送るような真似を」
「相手が弱ってたから勝てました、じゃあカッコが付かんだろ。しかも子供相手に」

 胃の内容物を全て吐き出したせいか、シロはいつの間にか気分がスッキリしていることに気が付いた。口元をぬぐって立ち上がると、目の前の老海賊をじっと見据えた。

「……先程の技、武術を極めた者の一撃とお見受けする」
「ワシは『通し』と呼んどるがな」
「針のように一点に集まった衝撃が、背中に突き抜けていくようでござった。どれほどの研鑚を重ねてきたのか想像もつかんでござるよ」
「んな大袈裟なもんじゃねーよ。何百年か昔、たまたま知り合った中国人に健康体操の型を教えてもらってな。それをずーっと続けてたら勝手に出来るようになっとたんだ」
「そ、そうでござるか」
「ワシはロック・ジョー。小娘、お前の名は?」
「犬塚シロと申す。いざ尋常に……勝負ッ!」

 横島を救出しなければならないと言うのに、シロは目の前の敵と戦う事に歓喜を覚えてしまうのを禁じ得なかった。

「ちくしょー、せっかく活躍の場面なのにーーーーっ!」

 ケイはへたり込んだまま、その様子を見守るしかない自分が恨めしかった。



「さてと、今のうちに」

 甲板で盛大な戦いが始まった頃、船底では潜水服を着た令子が潜入に成功していた。薄暗い船倉をこっそり歩いていると、突然目の前に人影が飛び出してきた。

「うわぁっ!?」
「み、美神さぶべらーーーーッ!?」

 敵かと思って咄嗟に殴り倒したのは、横島であった。

「あ、あら。ゴメンネ」
「いきなり何するんですかッ!」
「急に出てくるから悪いんでしょ!」

 言い争いを続けようとして、二人はピタリと口を閉ざす。そう、ここは敵の船であり、どこに何が潜んでいるのか分からない。抜き足差し足忍び足で二人は船を探索し始めた。

「ところで、なんであんた一人なのよ。おキヌちゃんはどうしたの?」
「連れてこられた時、別々にさせられたんスよ。この騒ぎでこっそり探してたんですけど、どーやら上の部屋にいるみたいですね」
「とにかく、一刻も早くおキヌちゃんを見つけて脱出しないと。いつまでもここにいたらあの子が危ないのよ」
「それってどういう――!」

 薄暗い部屋に辿り着いた時、奥から不思議な旋律が聞こえてきた。腰を低くして中を覗くと、誰かが巨大なパイプオルガンを演奏している。
 無数のロウソクに照らされながら一心不乱に鍵盤をかき鳴らしていたのは、フライング・ダッヂマン号の船長テンタクル・ジョーンズであった。奏でられる旋律はその姿に似つかわしくない、繊細さと儚さが滲んでいた。
 令子と横島がその様子を窺っていると、突然演奏が止まってしまう。

「ここから先は俺には弾けん。だから、これ以上待っても続きを聞くことはできんぞ」

 立ち上がったテンタクル・ジョーンズは、部屋の隅にある暗がりに燭台を投げつける。床に転がったロウソクの明かりに照らし出され、令子と横島も立ち上がった。

「こんな事だろうと思って待っていれば、案の定か。俺の船にはネズミを住まわせている余裕はないぞ」

 触手を不気味に動かしながら、テンタクル・ジョーンズは冷淡に言い放つ。

(な、なんなの、こいつの凄まじい霊圧は!? これじゃまるで――)

 目の前の怪物が放つプレッシャーに気圧され、令子も思わず息を飲む。だが、ここで退くわけにはいかない。

「偉そうに言うんじゃないわよ。私の大事な助手を勝手にさらっておいて」
「ほう、お前はあのお嬢さんの関係者か」
「おキヌちゃんは私が責任持って預かってんのよ。あんたみたいな軟体海産物に好きにさせてたまるかっての」
「返して欲しいなら、お前たちも海賊の流儀に倣うがいい」
「言われなくてもそのつもりよ!」

 欲しい物は奪う――実にシンプルで分かりやすい理屈である。令子は太腿のスロットから神通棍を引き抜くと、躊躇うことなく斬りかかった。

「む……今までの連中とは違うというわけか」

 左腕で神通棍を受けながら、令子の太刀の速さにテンタクル・ジョーンズは感心した様子を見せる。令子は手を休めず、嵐のように神通棍を叩き込んでいく。

「ここまで動けるとは驚いたな。しかし所詮は人間――」

 振り下ろされた神通棍を鋏で捕らえ、ニヤリと笑うテンタクル・ジョーンズ。だが、それは令子も同様であり、彼女の左手には霊体ボウガンが握られていた。

「強い奴ってのはさあ、そうやって余裕ぶっこいてるから足元を掬われるのよね!」

 至近距離から眉間めがけ、ボウガンの矢が放たれる。これで勝負は付いたように見えたが、令子は苦虫を押し潰したような表情になっていた。

「お前が一流の戦士だということは認めよう。だが、腕が二本しかないのでは勝ち目はないな!」

 顎から伸びた触手の一つが矢を絡め取っており、さらに別の触手が令子の喉を締め上げていた。

「くっ……!」

 触手はそのまま令子を持ち上げ、テンタクル・ジョーンズは品定めをするように令子を眺める。

「待ちやがれこの野郎!」

 その時、横島が声を上げた。右手首を左手で固定し、テンタクル・ジョーンズにかざしながら横島は叫ぶ。

「てめーの言葉がヒントになったぜ。腕が足りないなら、増やせばいーんだッ!」

 令子の水着姿と触手で悶える姿で瞬間的に煩悩をチャージした横島は、右手に霊力を集中してイメージを具現化させた。それは、五指からうねうねと伸びる光の触手であった。

「栄光の手の進化系、栄光の触手だぁぁぁぁぁっ!」

 それからしばらく、沈黙が辺りを包む。

「……見んなよ。そんな目で俺を見んなよ」
「横島くん、アンタって……」
「どーでもいいが、この技は大丈夫なのか?」

 某氏には許可を取ってあるので、読者のみんなは安心して欲しい。
 それはともかく、横島の触手はうねりながらテンタクル・ジョーンズに絡み付く。

「ぬうっ!?」
「へっ、絡み付くのは得意でも絡まれるのは苦手ってか?」

 横島の触手に気を取られ、令子の首に巻き付いていた触手の力が緩む。その隙を逃さず、令子は神通棍でそれを切り離し、触手から脱出した。

「でかした横島くん! このまま一気に――」
「ぐ……!」

 令子はイヤリングの精霊石を床に叩き付け、まばゆい閃光が辺りを包む。テンタクル・ジョーンズが気付いた時には、そこはすでにもぬけの殻であった。

「引き際も一流、というわけか」

 舌打ちをしながら、テンタクル・ジョーンズも部屋から姿を消した。



 甲板では一進一退の攻防が続いていたが、ブラック・ドッグ号から一発の信号弾が打ち上げられる。それは、事前に決めた退却の合図であった。

「ええい、まだ勝負は付いておらんのに!」
「次に会う時は必ずテンカウント取ってやるからな!」

 ディックに捨て台詞を残し、まずは天竜童子と娑婆鬼が甲板から飛び立つ。

「い、痛い……」

 それを見上げるディックの顔は元の倍近くに腫れ上がっていた。

「なんだぁ、もうお終いかー?」
「はあ、はあ……あ、あんたみたいにめんどくさい奴なんか、もう知りまちぇん!」
「ぜえ、ぜえ……そ、それは悪者の台詞なんじゃないの?」

 霊波攻撃が効かないだけでなく、身のこなしも相当なものであったトーリに、パピリオとタマモはすっかり手を焼いていた。信号弾を見た二人は、チャンスとばかりに退却する。



「……そろそろお開きだぁな」
「名残惜しいでござるが」

 シロとロック・ジョーが構えたまま、互いの先を読み合っていた。
 喧噪に満ちた甲板が、ひどく静かになっていくのが分かる。
 雑音が、消えていく。
 空気の流れを、相手の息づかいを肌で感じるほどに感覚が研ぎ澄まされていく。

「でいやぁぁぁぁぁっ!」

 シロは裂帛の気合いと共に、霊波刀を打ち込んだ。弧を描く剣の軌道に躊躇いはない。そこに触れる物があったとしたら、岩石とて両断されていただろう。しかし、気付くとシロは甲板に転がされていた。背中をしたたかに打ち付けながらも、素早く彼女は身を起こす。
 ロック・ジョーは構えを解き、両腕を後ろに組んでシロを見ていた。

「ふー、やれやれ。二枚におろされるかと思ったわい」
「……」
「ほれ、仲間が呼んでんだろ? とっとと帰ぇりな」
「ご老体、なぜ手加減を?」
「あ?」
「仕留めようと思えば何度もチャンスがあったはずなのに、なぜ」
「別に殺せとは言われとらんからな。お嬢ちゃんに恨みがあるわけでもねえし」
「今回は拙者の負けでござる。しかし、次にまみえた時は必ず――!」
「よせよせ、次なんかいらねぇよ。歳を取ると色々おっくうになるんだ」

 シロは霊波刀を消して頭を下げると、腰を抜かしたままのケイを抱えて跳んだ。