蜂と英雄

モドル | ススム|モクジ

  第18話  

「さあ……二人を殺せ」

 無慈悲な、しわがれた声で命令が下される。
 火山と竜巻による轟音が鳴り響いていたはずなのに、ひどくはっきりと――静寂の中でそれが語られたかのように思えた。
 幼い身体に暗黒の魔力を纏う少女は、無言のままゆっくりと首を縦に振る。
 彼女にとって、その言葉は全て。
 自分の存在する理由そのものなのだから。

「アンジェラ――!」
(あの子供はフォロ・ロマーナで見た……彼女もアンジェラと言うのか。しかし、これはまずいぞ)

 ジークの頬を、ひと筋の冷たい汗が流れ落ちていく。
 ローマの遺跡で目の当たりにしたアンジェラのパワーは、外見からは想像も付かぬほど凄まじい。
 彼女が立ち塞がるとなれば、無傷で事が運ぶことはまずありえない。
 ツキに見放されたとはこの事かと、ジークは思い知る。
 だが、怯むことはできない。何としても辿り着かねばならない。
 一族の至宝、魔剣グラムに誓った覚悟にかけて。

 アンジェラの身体から、夜の闇を思わせる黒い光が滲み出し、雷光の如き軌跡が空を切り裂いた。それはジークとベスパの間を別つように突き抜け、瞬時にして空の彼方へと消えていく。
 二人は身構えていた。身構えていたのにまったく反応ができなかった。光と同じ速さの攻撃を、見てから避ける芸当など不可能である。
 状況のまずさを瞬時に理解したジークとベスパは、同じ場所に留まらぬよう、素早く飛び回る。黒い稲妻は二人を追い、火山の上空を縦横に貫き続けていた。

「やめて、お願い! あんたとは戦いたくないんだよ!」

 飛び回りながら、ベスパはアンジェラに呼びかける。
 アンジェラは返事をせず、ただ気配を感じた方角に向けて攻撃を仕掛け続けてくる。

「道具として作られたとしても、私達には自分の意志で決められる心があるのよ。あんたはそんな風に、いいように使われるだけのために生きてるんじゃない……だから気が付いて!」

 ベスパは何度も、何度もアンジェラに呼びかけた。
 ――道具として生まれようとも、その心まではモノじゃない。
 かつてルシオラが、命をかけてそれを証明したことをベスパは深く胸に刻んでいる。
 だからこそ。
 きっと彼女にもそれができるはずだと信じて。

 アンジェラは答えない。
 答えるべき言葉を知らないのか、ただ命令に従うだけなのか。
 周囲を飛び回るベスパとジークの気配を追い、嵐の如く滅びの光を放出し続けていた。
 その時、頭上を飛ぶベスパは思わず動きを鈍らせてしまう。
 ただの偶然だったのか、狙っていたのかはわからない。
 透き通るエメラルドの瞳。
 どこか儚さに満ちたそれと、目が合ってしまった。
 しかし――無慈悲な黒い光が、そのスキを見逃すはずはない。

「きゃあっ!?」
「ベスパ!」

 光線がかすめ、ベスパは火口へと落下していく。ジークは彼女の後を追い、身体を受け止めたまま斜面に激突して止まる。
 幸運にもその場所は細かい砂利があるばかりで、大きなダメージを受けなかった。そのままジークは斜面を滑り、突き出た岩陰に身を隠すと腕の中のベスパに声をかけた。

「大丈夫か」
「あ、う、うん、平気。何ともないみたい」
(直撃したと思ったが……まさか、わざと外したのか?)
「紙一重のギリギリだったけ……ど……えっと」

 ふと気付けば、しっかりと抱きしめられていることに気付いてベスパは赤くなる。ジークもそれに気付き、つい赤くなりながらベスパを放す。岩陰から様子を窺うと、周辺に黒い光の矢が降り注ぎ、地面はすり鉢状にえぐれ、黒い岩の破片が飛び散っている。
 その向こうから、アンジェラがこちらに向かっていた。
 マシーンのように真っ直ぐ、命令を遂行するためだけに。
 ジークはベスパに言う。

「このまま逃げ回るだけでは、いつか追い詰められてしまう。気の毒だが、やられる前にやるしかない」
「ちょっ……待って!」
「お前があの少女を気に掛けているのは知っているが、手加減できる相手じゃない。それとも――お前は彼女をやれるのか?」
「!?」
「恨んでくれて構わない。だが忘れるな――我々の目的は、ルシエンテスを倒すことだ」
「こんな時に言う事じゃないのはわかってる……でも、殺さないで! アンジェラは、あの子は!」
「せめて彼女が死なずに済むよう、祈っていてくれ」

 振り返らずにそう言い、ジークは飛び出した。
 一直線に向かってくるジークを見つけたアンジェラは、手のひらを向けて収束した魔力を撃ち出す。破壊光線と化した魔力が直撃し、ジークの姿が爆風にかき消された――そう見えた瞬間。
 銀色の軌跡が爆発の中心を薙ぎ払い、それと同時に爆風はかき消されたように無くなってしまう。生まれ変わった魔剣グラムの刀身が、爆発の魔力全てを食らいつくしたのだ。ジークは腕輪の力による超スピードで、アンジェラに迫る。
 迅雷の如き一閃が、幼い少女の身体を駆け抜ける。



 アンジェラの身体から大量の魔力が立ち上り、冷たく輝く刀身に吸い込まれていく。遅れてアンジェラの後ろ髪が身体から離れ、黄金の糸となって宙に舞い散った。
 重く暗い、膨大なエネルギーが魔剣に吸われ、食らいつくされていく。直後、アンジェラは力なく落下していった。
 ベスパは全速力で飛び出し、その小さな体を抱きしめた。意識はなく、ぐったりとしている。胸に耳を当てると、心臓の鼓動が確かに聞こえてきた。

(なんとか……上手く行ったか)

 ジークの狙いは成功していた。
 多くの魔族や妖魔にとって髪は力の源とされ、それを失うことは力を失うことを意味している。その可能性に賭け、ジークはアンジェラの髪を切ることで魔力だけを奪い取ったのである。
 魔剣のことを詳しくは知らないベスパだが、ジークが上手くやったのだと心から安堵した。ところがジークを見上げると、剣を鞘に収めた直後、彼もまた力を失ったように落下していく。
 ――再会してからずっと、ジークの様子がおかしい。
 一体何があったのかと、アンジェラを抱きかかえたまま墜落した地点に駆け出した。
 うつ伏せに倒れているジークの顔を覗き込んでみると、呼吸は乱れて激しく疲労した表情をしており、脂汗を滲ませていた。

「どうしたっていうのさ?」
「ハァ、ハァ……この武器は強力だが……使う側もひどく消耗する。飛び回りすぎて、予想以上に霊力を使ってしまった」
「何だってそんなもの」
「や、奴はこれでなければ仕留められん。普通に戦っていては逃げられてしまう」
「だったらあたしがそれを――」
「ダメだ」
「なにいってんのよ、ジークはもうガタガタじゃないの!」
「これは……お前が手にしてはいけないんだ」
「どういう意味?」
「……そんなことは、いい。奴はどこだ」

 ベスパの肩を借り、剣を杖代わりにしてジークはどうにか立ち上がるが、足元はふらつき歯を食いしばり、立っているのがやっとな有り様であった。
 ベスパの胸に不安がよぎった瞬間、背後から立ち上る禍々しい気配が周囲を包み込んでいた。振り返ると、白髪の老紳士――ルシエンテスが宙に浮いたままこちらを見下ろしている。
 その口元は、狂気を滲ませた笑みで歪んでいる。

「なるほどなるほど。それはエネルギーを吸収する強力な霊刀というわけか。たったあれだけでアンジェラの魔力を吸い取ってしまうとは、大したものだ。だが、そうとわかれば――」

 強力な念動力によって、直径十メートル近くはあろう岩石が、斜面から引きずり出され宙に浮き上がる。ルシエンテスの指先がジーク達の方へ向けられると、岩石が彼らの頭上めがけて落下していく。
 轟音と地響き、そして砂煙がもうもうと舞い上がり、その重量による衝撃の強さを物語っていた。

「――直接触れなければいいだけのことじゃ。いくらエネルギーを吸収できようと、岩が相手では意味がなかったな。アンジェラもご苦労だった」

 斜面にめり込んだ岩石を見つめながらそう呟いていると、岩石が小刻みに振動し浮き上がってくる。ルシエンテスが目を凝らすと、両脚を地面にめり込ませながら、ベスパがその岩を受け止めていた。
 彼女の足元にはジークとアンジェラが倒れていたが、無傷であった。

「ほほう、見事な怪力じゃな。惚れ直したぞ」
「背筋が凍り付きそうなセリフぬかすんじゃないよッ」
「威勢のいいセリフも、岩を抱えていてはサマにならんな。ファファファ」
「こんなもの――!」

 ベスパが力を込めると、岩全体に亀裂が走りひび割れていく。
 そして一声の気合いと共に、岩石が粉々に砕け散った。
 重圧から解放され、上空を見上げたその視界には――何もいなかった。

「注意一秒、怪我一生。小僧にも言ったが――そのスキが命取りよ」

 目の前で、声がした。
 それを防ぐ暇もなかった。
 目線が正面に戻ると同時に、閃光が全てを包み込む。
 焼け付くような感覚と、遅れて全身を貫く鈍い衝撃。
 ――特大の霊波砲。
 その直撃を受けたベスパは斜面に激しく打ちつけられ、大の字になってうなだれていた。

「う……げほッ……」

 唇の端から血を滴らせながら、かすかにベスパは声を出す。
 かろうじて即死は免れたが、そのダメージは甚大であった。
 身体を構成している霊体が激しく損傷し、満足に力が入らない。
 そして、悠々と近付いてくる足音。
 ブラウンのスーツに身を包む老人は、乾ききった瞳にベスパを捉える。

「ずいぶんと頑丈じゃなあ。だが、そのザマではもう戦えまい。何の役にも立たず、惨めに死んでいくとは――アシュタロスも無能な道具を作ったものよ」
「ぐ……ッ」

 身体は動かせないのに、意識だけがはっきりしている事が恨めしかった。悔しいのに、一矢報いることすらできない。
 少しでも動こうと歯を食いしばるベスパを見下ろし、ルシエンテスは呟く。

「さて、目障りなゴミは処分しておかねばな。アシュタロスもワシに感謝するじゃろう。ベスパよ。貴様は所詮、失敗作だったのだ」

 心の奥をえぐる無慈悲な言葉を合図に、身動きの取れぬベスパの前に強大な殺気が膨れ上がる。
 息の根を止める最後の一撃が撃ち込まれようとしたその刹那――乾いた銃声と共に、ルシエンテスの頬を一発の弾丸がかすめる。
 ゆらりと向けられる視線の先に、ふらつく脚をこらえ、拳銃を構えるジークの姿が映っていた。

「何をしている……お前の相手はこっちだ!」
「ふん、さっきまでの威勢が見る影もないではないか。今まで色々と面白い奴ではあったが、そろそろお別れの時間が来たようじゃ」

 ルシエンテスが地面にステッキを打ち付けると、先程ベスパが砕いた岩石の破片が浮き上がり、鋭利に割れた切っ先がジークに雪崩を打った。腕に、脚に、胸に腹に――銀の装甲をも貫く楔(くさび)が次々に穿たれる。倒れることも許されぬまま、操り人形のようにジークの身体は踊り続ける。

「少々名残惜しいが――さらばだ、小僧」

 締めくくりを告げる最後の楔が、ジークの左胸に突き刺さった。

「ぐは……ッ!」

 握りしめていた拳銃が、ゆっくりとこぼれ落ちた。
 全身から紫の血液を噴き出し、ジークは膝を付いて座り込む。
 祈りを捧げる礼拝者の様に頭を垂れ、ジークは動かなくなった。

「ジーーーークッ!」

 ベスパの叫び。
 そして老魔導師の高笑いが混じり合い、エトナ火山の山頂に響き渡った。ルシエンテスは力尽きたジークの元へ歩み寄り、ベルトに結びつけられていた袋を無造作に取り上げる。その中から、黄金の輝きを満たした宝玉――神の力を与える黄金の林檎――が姿を現した。

「破壊そのものにして、究極の芸術。それがついに解き放たれる。待ったぞ、ずいぶんと待った……これより起こる全てを、ワシは洩らさず記憶に刻み込もうぞ。ククク……ファーファファファファ!」

 狡猾で乾ききった魂を持つ強敵の前に、ジークとベスパは傷つき倒れた。
 渦を巻く破壊神が姿を見せた時、全ての未来が死ぬ。
 逆天号は、まだ姿を見せない。
 天を突く火柱が、うねり暴れる竜巻が――神代から続く戒めより解き放たれる瞬間を待ちわびていた。




「ねえ唐巣神父。みんな……死んじゃうのかな」

 ローマの片隅に、小さな教会がある。
 そこは魔族の襲来から逃れた民間人の避難所となっていた。
 逆天号の出現によって戦意を失った魔族達は徐々に退却を始め、手の空いた唐巣神父は周囲の警戒を軍の兵士達に任せ、教会の中で不安に怯える人々を落ち着かせるために神の教えをあらためて説いていた。

 その中で、青い目の男の子が尋ねた。
 赤い縞模様のシャツを着た、そばかすがちょっと目立つ――どこにでもいる普通の少年。彼は空を埋め尽くす魔族の群れと、海の向こうの空が暗く、そして紅く燃えているのを見た。
 海と大地が、うなり声を上げるように鳴り響いたのを感じた。
 大人達が、この世の終わりが来たと嘆いたのを聞いていた。
 だから単純に『そうなのか』と思い、いろんな人に尋ねてみた。
 ところが誰に聞いてもそれどころじゃないの一点張りだったので、神父さんなら教えてくれるかもと、近くにいた唐巣神父に尋ねてみたのである。他にも同じ事を考えていた者はたくさんいたらしく、男女入り混じった子供達が、唐巣神父の傍に集まりその顔を見上げていた。

「神は全てを見ておられるんだよ。神は正義を愛し、悪を許しはしない。信じ、一心に祈るなら、必ず神はみんなに微笑んでくれるんだ」
「でもさ、どうしてこんな事になったんだろ。ボクたち、こんなに怪物が出てくるほど悪いことしたのかな」
「おや、君は何か悪いことを?」
「う、えっ……と……ごめんなさい。一昨日、近所の意地悪なおじさんの靴にカエルを入れたら、ひっくり返ってカツラが取れちゃったんだ」
「そ、それはよくない。そのおじさんにはちゃんと謝らなくちゃいけないな」
「うん……でも、やっぱりそのせいなのかな」

 涙目になる少年に、唐巣神父は優しく首を振り微笑みかける。

「私の故郷、日本にある言葉を教えてあげよう。因果応報というんだ」
「インガ?」
「因果応報……全ての行いは繋がり、悪いことをすれば悪いことが、良いことをすれば良いことが自分に帰ってくる、という意味なんだ」
「やったことが自分に帰ってくるの? だったら、ボクも靴にカエルを入れられちゃうのか。うわ〜、まいったなぁ……」
「悪いことだけじゃなくて、良いことは何か心当たりはないのかい?」
「そう言われても……買い物の帰りにママの荷物を持ってあげたとか――後は憶えてないよ」
「それでいいんだよ。君たちが憶えていなくても、神はその行いの全てを知っておられる。そして過ちを反省し、悔い改める者を神は全てお許しになる。だから、みんなで祈ろう。暴挙を行う悪に裁きの雷を。そして信じる者に祝福と奇跡のあらんことを――」




 シチリア島に接近した逆天号マークUのブリッジで、パピリオがワルキューレに詰め寄っていた。
 この兵鬼が出現した真の目的を聞かされたからである。
 有象無象の魔族を屠るためだけに、逆天号が起動されたのではなかったのだ。

「何考えてるんでちゅか、火山に断末魔砲を撃ち込むだなんて!」
「弱められた封印と同種のエネルギーを撃ち込むことで、ゼウスの結界を復元しようというのが我々に残された最後の手段だ。断末魔砲のエネルギーを結界と同種のものに変換させる装置は完成している。後は射程に到着するのを待つのみだ」
「ベスパちゃんもジークもあそこにいるんでちゅよ!?」
「わかっているさ……主砲発射までにはわずかだが時間がある。我々はその間にジークとベスパを救助し帰還する。危険な賭けだが、気持ちは私も同じだよ、パピリオ」
「そ、そうでちたね……」
「もっとも、魔神が完全に復活してしまったら、全ては無意味となってしまうが……そうならないように、今は願うしかないな」
「ベスパちゃん……ジーク……」

 パピリオとワルキューレは、暗雲渦巻くシチリア島をじっと見つめていた。




 黄金の林檎を満足そうに握りしめていたルシエンテスは、ふわりと宙に舞う。ジークとベスパが倒れている場所を見下ろし、指先で獣に似た紋様を宙に描き始めた。紋様は光と熱を持ち、炎を発して動き始めた。

「万が一生きておると面倒なのでな……我が炎獣に塵も残さず喰らい尽くされてしまえ」

 完全な決着を付けるべく、ルシエンテスの術が放たれた。
 意志を持つ炎は、燃え盛る牙を剥き出しにして襲いかかる。
 その斜線上に――小さな手に力を込めて立ち上がる姿があった。
 切られた髪は、なお黄金の輝きと共に風にゆらめき――エメラルドの瞳には、炎獣と老魔導師の姿が映り込んでいた。
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