蜂と英雄

モドル | ススム|モクジ

  第5話  

 フランス・ローヌアルプ地方。
 山岳地帯の小さな村へと辿り着いたジークら一行が見たものは、教会の周囲に転がる無数の遺体と、立ちこめる死の匂い。
 昼間だというのにあたりは静まりかえり、何ひとつ動くものはなかった。

「あのジジイ……」
「話は聞いていたが、胸くその悪くなる奴だというのは本当らしいな」

 ベスパとワルキューレは周囲の遺体を見ながら表情を曇らせた。
 武装した兵士や霊能者ならばともかく、ここで倒れているほとんどは丸腰の民間人である。ロザリオや聖書を手に挑んだ者達もいたようだが、多少心得がある程度では奴らの障害とはなり得なかったであろう。
 被害者が人間とはいえ、ルシエンテスの所業にははらわたが煮えくり返る思いだった。
 ハーピーは教会の周囲をぐるりと回りながら、落ち着き無く周囲を気にしている。そんな彼女の様子に気付いたジークは、歩み寄り声をかけた。

「どうかしたのか?」
「ここって教会なんだろ? 何かヘンじゃん」
「ヘン?」
「教会にある神聖な気がまったく感じられないんだよ。あたいがこんなに近くにいても平気なくらいにさ」
「そういえば……」

 言われてジークも違和感を感じ取り、周囲の様子を確かめる。

(これは)

 教会の脇には花壇があり、そこには小さな花がひっそりと植えられていた。ジークは花壇の傍にしゃがみ込み、片手で土をすくい上げる。土の中には小さな虫が一匹混じっていたが、それはひっくり返って足を縮めたまま、ピクリとも動くことはなかった。

(土が……大地が死んでいる。どういうことだ?)

 地面から生命を育むエネルギーが消え失せている。
 大地の異常は見た目で判断するには難しいものだったが、感覚を研ぎ澄ましてみるとはっきりと感じ取ることができた。
 土地が死んでいるその上に、いくら霊的な建造物を造ったところで意味はない。この世界を構成するエネルギーの流れが発生しなければ、生命や霊的なサイクルが滞ってしまうからだ。

 ジークは仲間を呼び集め、自分の感じた異常を話した。
 手分けして周囲の大地を調べてみたところ、それはこの教会の周囲だけに止まらず、もっと広い――およそ目で見える土地の全てという広範囲に渡っている。エネルギーが失われた土地は急速に痩せ衰え、やがて全ての動植物が住めない死の大地となってしまうだろう。

「あのジジイはこの土地からエネルギーを根こそぎ奪っていったみたいだけど、何をするつもりなんだろ。どう思うジーク?」
「わからん……だが、アシュタロスの記録にあった『あれ』というものに関係があるのは間違いないだろう。遺体の状況から見てもまだ遠くには行っていないはずだ」

 ベスパと話し合っていると、小型の通信用使い魔、その名も通信鬼が「ぽんっ」という音と共に現れてコール音を鳴り響かせた。
 ジークが応答すると、聞こえてきたのは土偶羅の声だった。

「どうした土偶羅。データの分析が終わったのか?」
「まだ終わるわけなかろう。それよりまた奴の反応が出たぞ」
「今度はどこだ」
「場所はフランス南部、地中海沿岸の都市マルセイユじゃ。距離はそこからさほど遠くないな」
「よし。そこで奴を何としても取り押さえるぞ!」

 ジークの言葉に頷き、一行はフランスの都市マルセイユを目指し飛び立った。




 フランス南部・プロヴァンス地方マルセイユ。
 そのルーツは紀元前六百年にまで遡るフランス最古の都市。
 地中海を望むこの都市は天然の良港に恵まれ、貿易の中心として大いに栄えた。フランスの都市としては観光資源に乏しい所もあるが、古式建築の建造物や美術館、マリンスポーツのために訪れる人々は多い。
 マルセイユは現在も商都として繁栄する、地中海の日の光のまばゆい街なのである。

 マルセイユ某港。
 この港には軍の船舶が停泊し、他とは明らかに違う重厚な雰囲気を醸し出している。無論ここに立ち入れるのは軍の関係者だけで、一般人が入ることはできない。それに加え今日はいつもよりも厳重な警備が敷かれている。どうやら何か重大な出来事があるようだ。
 そんな港の中を、悠々と歩く白髪の老紳士がいた。
 ハットに上等なブラウンのスーツ、革靴にステッキ。
 上機嫌に鼻歌を歌うその老人こそ、人の姿を得たルシエンテスである。ステッキでリズムを取り、ステップを踏みながら歩いて行く。
 それを警備の兵が見逃すはずもなく、彼はすぐに呼び止められる。数人の兵士は自動小銃を構え、大きな声で叫びながら老紳士に近付いた。

「民間人の立ち入りは禁止だ。ここにどうやって入った?」
「ふむ、あっちから歩いてきたんじゃが」

 ルシエンテスが自分の歩いてきた方角を指すと、鈍く光る銃口が突き付けられる。

「動くな! 両手を頭の上に組んでうつ伏せになれ!」

 兵士は殺気立った声を上げ、ルシエンテスに向けられた黒い銃口が鈍く光を放つ。

「やれやれ、老人に銃を向けるとは。ジェントルマンとは言えんのう、お前さんら」

 ハットの鍔を上げた老紳士の瞳は邪悪な光に満ち、血のように赤く輝く。その光を見た兵士達はみるみるうちに生気が抜け、眼は虚ろになっていく。
 強力な催眠術であった。

「さてと、案内してもらうぞ。ワシが求めるモノの所までな」
「……は……い」

 兵士達は力なくコクリと頷き、近くに止めてあった軍用のジープにルシエンテスを乗せて走り出した。兵士に囲まれ、あまりにも堂々と後部座席に座る老紳士の姿はかえって不自然さを消し、目的の場所にたどり着くまで彼らを呼び止める者はなかった。
 途中ゲートで止められても、ルシエンテスが例の眼光を向けただけで警備兵達は素直にそこを通してしまう。
 やがてジープは止まり、その眼前にあったのは。
 黒く、長く、重い巨大な鉄の塊。
 まるで自身がひとつのミサイルであるかのようなシルエットは、静かに大量の死の匂いを内包している。それは海面から上半分だけ姿を覗かせ、日の光がそぐわぬ暗闇の住人である事を示しているかのようであった。

 ランフレクシブル級原子力潜水艦。

 潜水艦発射弾道ミサイルを十六基搭載する、フランス海軍の戦略ミサイル原子力潜水艦である。

「ほほう、思っていたよりも良くできておる」

 ルシエンテスはな邪な笑みを浮かべ、虚ろな目をした兵士達に目を向ける。

「お前達にはワシが仕事をしやすいようにしてもらおうか」

 兵士達は命じられると、それぞれ銃を手に取り車を降りていく。
 そして潜水艦の周囲を警備していた仲間に向かって引き金を引いた。
 鳴りやまぬ発射音と、降り注ぐ銃弾の雨。
 突然の銃撃戦に、港は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
 飛び交う銃弾の中で一人、また一人と兵士が傷つき倒れていく。

「殺せ……その度にワシの使い走りが増えるでな。ファファファ!」

 ルシエンテスが手元で印を切り、邪気に満ちた波動を息絶えたばかりの死体に浴びせる。肉体から離れかかっていた魂は呪縛によって遺体に押し戻され、魔力によって肉体を動かす人ならざる者へと変貌させられていった。彼らは傷ついた肉体を起こし、銃を手に『生きている』仲間に襲いかかる。死者が死者を増やし、帰死人(レブナント)としてその数を増やしていく。
 それはまさに終わりのない修羅の地獄であった。

「死者共よ、ワシのためにせいぜい時間を稼ぐがよい」

 人間達が帰死人達と死闘を繰り広げているのを横目に、ルシエンテスは悠々と原子力潜水艦に近付いていく。
 しかし、上空から降り立った四つの影がその行く手を阻んだ。

「そこまでだ。これ以上は一歩も行かせん!」

 ジークを始め、ワルキューレ、ベスパ、ハーピーの四人が完全な戦闘態勢でルシエンテスを睨みつけている。
 ジークとワルキューレはハンドガンを、ハーピーはフェザー・ブレットを、ベスパはファイティングポーズを取って、それぞれに隙は無い。

「ん……誰じゃ、お前達は」
「ふざけるな! 仲間を殺し、ナックラヴィーをけしかけたこと、忘れたとは言わせない!」
「ファファファ、冗談じゃよ。お前のことはよく憶えておる。ワシの僕が泣いて帰ってきおったからなぁ。で、今更なんの用じゃな?」
「貴様が危険な目的のために活動していることは調査済みだ。そしてまたこんな非道をッ」
「仕事熱心じゃなあ。だが、魔族のお前に人間の事情などどうでもよかろう」
「黙れ! これ以上魔族にも人間にも手を出させてたまるか!」
「ワシは忙しい。お前の青臭い説教を聞いておるヒマなど無いのだ。そこを――」

 ルシエンテスが一歩踏み出そうとした時、フェザー・ブレットの一閃が眉間めがけて放たれる。
 激しい爆発音と共に、ブラウンのハットが宙に舞った。

「動くなって言ってんだよ、クソジジイ!」

 ハーピーは魔族の殺気を隠すこともなく立ちこめる煙に向かって吼えた。羽はステッキで弾き飛ばされて地面に突き刺さり、ルシエンテスに傷ひとつ付いてはいない。

「めんどくさい連中じゃ。少々痛い目に遭わんとわからんか」

 舞い落ちてきたハットを手に取り、真っ白な頭髪の上に被せながら、ルシエンテスは肩をすくめた。直後、老人の体から凄まじいプレッシャーが放たれる。
 霊気が突風となって激しく吹き荒れ、渦を巻く。

「こ、この霊圧……アシュ様が仕留められなかったハズだ……!」

 ベスパの頬を、冷たい汗が流れ落ちる。
 細身の老人から放たれる霊波は強大で、痛みを憶えるほどに禍々しかった。魔族の中でもこれほど強く冷たい殺気を放つ相手を、ベスパはアシュタロス以外に見たことがなかった。

「まずは挨拶代わりじゃ。ほれっ」

 ルシエンテスはステッキで足元をサッと払う。
 刹那、凄まじい衝撃波が四人を襲った。
 ハーピーは空中に大きく吹き飛ばされ、とっさにガードしたジークとワルキューレの体は数メートルも後退し、ジークが手にしていたハンドガンは衝撃で分解し、砕け散ってしまった。

「ぐっ……ぶ、無事か姉上」
「な、なんてパワーだ。これほどの力を持ちながら、魔族の情報部に今まで名を知られていなかったとは……信じられん」

 外見からは想像も出来ない力に圧倒される二人。
 彼らの頭上を、一直線に飛び越えていく影があった。

「ジジイが調子に乗ってるんじゃないよッ!」

 長い髪をなびかせ、ベスパがルシエンテスへ突撃していく。
 上空から流星の如く急降下し、ベスパは渾身の力を込めた拳を振り下ろす。
 しかし大振りな一撃はたやすく避けられてしまい、地面に穴を開けただけ。初撃の空振りに戸惑うかと思いきや、ベスパは拳を開いて身体の支えとし、間髪入れずに浴びせ蹴りを見舞った。

「ぬっ……!?」

 ルシエンテスもこのコンビネーションに不意を突かれ、頭部に一撃を受けて後退した。しかも、ベスパが叩き込んだ一撃には妖毒が含まれている。

 老人の膝が折れる――

 そのスキを見逃さず、ベスパは怒濤のラッシュを叩き込んだ。
 拳、肘、脚、膝――五体の全てを暴風の如く老紳士に向けて叩き付けていく。ルシエンテスはステッキでガードをしてはいたが、捌ききれない拳や蹴りを受けて苦悶の表情を浮かべている。

「ぐッ、こ、これはたまらん」
「あたしの毒と攻撃、どこまで耐えられるかなジイさん!」

 接近戦は彼女の土俵。ベスパはラッシュの手を緩めず、嬉々とした表情さえ見せている。ルシエンテスは防戦一方でまったく手が出せず、ジリジリと追いつめられていく。
 誰が見ても一方的な展開にしか見えなかった。
 だが。
 ルシエンテスの動きを眼で追い続けていたジークは、ハットの奥に見え隠れする老人の顔が笑っているのを見てしまった。
 まるで楽しむように、オモチャを与えられた子供のように目を輝かせて、ベスパの全てを堪能するように見つめているのだ。

「いかん、離れろ! 奴は押されているフリをしているだけだ!」

 危険を知らせるジークの叫びに「何をバカな」とベスパは思った。
 現に自分は反撃を許さないほど攻め続けているし、打撃も確かに届いている。
 おまけに妖毒で弱らせているのだ。
 このチャンスを逃す手はない――彼女がそう思うのは、至極当然のことだった。

(このまま一気に押し切る――!)

 普段ならジークの言うことに比較的素直な彼女だったが、戦いの最中で頭に血が上っていては、その言葉の深刻さを受け止めることはできなかった。

「これでトドメだ!」

 全霊力を拳に集中させ、白熱したエネルギーを叩き込んだその瞬間、

「なッ!?」

 パシン、という軽い音と共に、ベスパの拳はステッキでいなされてしまった。突然のことにベスパは戸惑い、次の動作を遅らせてしまった。
 ルシエンテスは笑みを浮かべ、ステッキでベスパのみぞおちを素早く突いた。

「う――!」

 ただそのひと突きにベスパは脂汗を流し、腹部を押さえたまま身動きが取れなくなってしまう。ルシエンテスの一撃は、ただの突きではなかった。打たれたと同時に波長の合わない霊波を流し込まれ、ベスパは指一本動かせない状態になってしまったのである。


「そ……んな、妖毒……確かに……」
「残念じゃったな。ワシに毒なぞ効かん。しもべを作ったときに色々と研究したからのう、ちゃーんと対策済みじゃ。ま、それ以前にワシは不死身じゃがな。それにしても気に入ったぞ小娘。その造形の美しさと力強さ。単なるアシュタロスの使い魔と思っておったが、お前も立派な『芸術品』のひとつに数えてよかろう」

 ルシエンテスは硬直したままのベスパの顎に指をかけ、強引に顔を上げさせる。体が痺れて言うことを聞かず、ベスパはただ口惜しそうに睨み返すことしかできなかった。

「手を離せ! 彼女をどうする気だ!?」

 駆けつけたジーク、そしてワルキューレがルシエンテスを挟むように立ち、ジリジリと間合いを詰めていく。

「どうもしやせんよ。ま、少々気に入ったのでな……手元に置いて眺めるのも悪くないのう」
「させると思うのか!」
(ジーク、やはり……)

 ワルキューレは自分がついてきて正解だったと、この瞬間実感した。
 普段は実に冷静で客観的に状況を判断する弟が、ベスパが絡むと感情的になっている。これは姉ではなく軍人としてずっと心配していた事だった。

「冷静になれ。ベスパを軽くあしらうほどの相手だぞ」
「私は冷静ですよ姉上……!」

 忠告がどこまで届いたのかはわからなかったが、ワルキューレはいつか来るチャンスを見逃すまいと神経を研ぎ澄ませる。
 ルシエンテスはベスパの顔から手を離し、両側を挟む二人を交互に見ながら、真っ白な髭をなでていた。

「ふむ……とはいえ小娘を抱えてやり合うのもしんどいしのう。大体お前さんら、平和を守るヒーローなら、老人ひとりに集団で挑むのは間違っとると思わんか?」
「貴様に間違い云々を語られる云われはないッ!」
「ファファファ、そりゃそうじゃ。だったらワシも味方を呼ぶとするかな」

 ルシエンテスがステッキで地面と打つと、コンクリートが吹き飛び土が剥き出しになる。 そして懐をまさぐり何かを握りしめると、それを土の上にばらまく。
 六、七個の白く尖ったものが土の上に落ちると、ひとりでに土の中に埋もれていく。
 すると、土の中から隆々とした筋肉を持つ男が這い出してきた
 男は銀の兜、槍、盾で武装し、ジークとワルキューレに刃を向けて構える。その姿は古代ヨーロッパに存在したという、スパルタの兵士そのものであった。続いて剣や弓で武装した兵士達が次々に生まれ、周囲を取り囲んでいく。

「スパルトイだと……また面倒な相手を」

 地面から生まれた古代の兵士達を睨み、ワルキューレはひとりごちた。まだ戻ってこないハーピーを加えても数の上で不利だが、それ以上に厄介な性質をスパルトイが持っていることを彼女は知っていた。

「戦闘員の皆さ〜ん、というわけではないがのう。ワシの便利な手下どもよ。こやつらを始末できたらワシが遊んでやるぞ若造。では、ワシは仕事があるでな……ファファファ!!」

 そう高笑いしながらルシエンテスはベスパを抱え、古代の兵士達の背後へと消えていってしまった。

「待て!」

 後を追おうとしたジークとワルキューレだったが、無表情なスパルトイ達の矛先が彼らの行く手を阻む。

「どけーーーーーーッ!」

 ジークは吼えた。
 自分でもなぜこんなに気分がざわつくのかよくわからない。
 だが、あの邪悪の塊の傍にベスパを近付けておきたくなかった。

(ジーク……!)

 スパルトイに突っ込んでいく弟の姿は、ワルキューレにとって不安を抱かせるものでしかなかった。悪い予感が的中したことを胸中で嘆きながら、ジークを援護するためワルキューレも後に続く。
 スパルトイたちの手にした刃には、二人の魔族が映り込んでいた。
モドル | ススム|モクジ
Copyright (c) 2008 All rights reserved.