蜂と英雄
第6話
スパルトイ――
『カドモスの龍退治』や『アルゴ船物語』などのギリシャ神話に現れる戦士で、その名は「蒔かれた者」を意味する。
龍の歯を畑の土に蒔くと武装した戦士が生まれるが、その性質は好戦的で常に敵を求めているという。
「うおおおおおッ!」
修羅の形相で吼えながらジークはスパルトイに飛びかかっていった。
突き出される槍や剣が頬をかすめようと気にも留めず、ただ力任せになぎ倒す。彼の一撃によって引き裂かれたスパルトイ達は、魔力で得られた肉体を失い白骨と化し、バラバラに飛び散る。ところが――白骨はひとりでに動き出して集まり、再び人間の形に組み上がる。
肉体は再生されず、骨のみとなった戦士達は、再び武器を握りしめてジークに襲いかかる。
龍の歯より生み出されたが故の再生能力。これが最も恐ろしい彼らの武器であると言えるだろう。
しかも彼らの槍や剣さばきは素人のそれではない。切れ間無く繰り出される剣や槍をかわしきれず、ジークは少しずつ切り刻まれていく。
スパルトイ達はカチャカチャと骨を鳴らしながら、機械のように刃を振り下ろしてくる。苦し紛れに叩きつけた拳は盾で防がれ、逆に盾を叩き付けられてジークは地面に膝を付いてしまう。
無防備になったその一瞬を、絶妙なタイミングで銀の矢が襲った。
「ぐっ……!」
矢は正確に心臓を狙っていたが、咄嗟に身をよじったおかげで急所は免れた。しかし矢はジークの肩口を貫通し、焼けるような激痛にジークは表情を歪めた。
「しっかりしろ、ジーク!」
「へ、平気です姉上、大したことは――くそッ、こんなもので!」
駆け寄ったワルキューレの手を振り払い、ジークは殺気に満ちた目でスパルトイを睨みつける。
貫かれた痛みですら、ジークの激情を鎮めることは出来なかった。
だが、そんなジークの顔面にワルキューレの鉄拳が炸裂する。
ジークは派手に吹っ飛び、頬を押さえてキョトンと姉を見た。
「違う、冷静になれと言っている」
「あ、姉上……」
「貴様の任務は何だ!? 貴様は軍で何を教えられてきた!? のぼせ上がるのもいい加減にしろ!」
ワルキューレは拳を握り締めたままジークを見下ろしている。
姉ではなく。一人の軍人として、生き残るための鉄則を問う上官の姿だった。
張られた頬の痺れがジークのざわついた心を鎮めていく。
(私は……怒りに駆られて周りが見えなくなっていたというのか……)
事は一刻を争う。こんな所で足止めを食っているわけにはいかない。
自分の未熟さに辟易しながらも、ジークは顔を上げて姉を見た。
「……すまない姉上。もう大丈夫です。奴を追わなければ」
「よし。こいつらの相手は私が引き受ける。お前はベスパを救ってやれ」
「了解!」
ワルキューレはジークに代わってスパルトイに立ち向かい、鋭い爪を振りかざす。
正面の相手を一瞬のうちに切り裂き、背後から剣を振り下ろそうとしたスパルトイの頭蓋を裏拳で粉砕、槍を構えて横から迫った相手は逆回し蹴りの一閃で脊髄もろとも吹き飛ばす。そして攻めると同時に素早く転身、自身に向けられる切っ先をことごとく回避。飛び散った骸骨が再び蘇って襲いかかろうとも、彼女の勢いは衰えない。
その戦いぶりは凄まじく、そして無駄がなく、まさに『ワルキューレ』と名乗るにふさわしい洗練されたものであった。
(ここは頼みます……!)
スパルトイ達が気を取られているうちにジークは肩に刺さった矢を引き抜き立ち上がる。全身に無数の傷を負ってしまったが、動けなくなるほどのダメージではない。傷口から紫の血を滴らせたまま、ジークは原子力潜水艦へ向かって走り出していった。
ジークがスパルトイ達の視界から完全に消えたのを確認すると、ワルキューレは自分を取り囲む骸骨戦士達を見る。前後左右から完全に取り囲まれ、自分を狙う切っ先の群れがギラリと光を放つ。
だが、ワルキューレに焦りの色は微塵もない。
「さてと……私はしつこい奴が嫌いでな。戦闘ごっこに付き合うのもここまでにさせてもらおうか」
ワルキューレが動くのと、スパルトイ達の刃が突き出されたのはほぼ同時だった。無数の刃が殺到し、ワルキューレがいた空間は四方八方を刺し貫かれた。
しかし、そこにワルキューレの姿は無い。
交差する刃のわずかな隙間から小さな黒い影が飛び出したが、スパルトイ達はそれに気付かない。目標を見失った彼らは周囲を見回すが、彼女の姿を空虚な眼窩に捉えることはできなかった。
(やはり奴ら、大して頭は良くないと見えるな。脳がないんだから当然なのかもしれんが)
小鳥ほどのサイズに小さくなったワルキューレは、音速に近い速度で包囲を飛び出し、上空から連中の様子を眺めていたのだ。
スパルトイ達は相変わらずカチャカチャと音を立てながらうろつき回っているが、連中をこのまま放置しておくことはできない。骸骨戦士達は獲物を求めてさまよい続け、やがて人間達の街に出て行く。
そうなればさらに多くの犠牲が出るだろう。
任務遂行のみを最優先に考えていた以前のワルキューレだったら、自分の身も守れない脆弱な人間のことなど放っておいた。
だが今は、人間にも勇敢に戦う者がいることを知っているし、何よりジークが良い顔をしない。
(この場でケリを付けねばならんな)
ふと目をやると、積み上げられたコンテナにめり込んだハーピーの姿が目に入った。気を失っているが、コンテナのおかげでスパルトイ達の死角になっていたのは幸いだった。見たところ大した怪我もしていない。ワルキューレはハーピーの傍に降り立ち、元のサイズに戻って気を失った彼女の頬を軽く張る。
「起きろハーピー。お前の協力が必要だ」
「う……」
ハーピーはこめかみを押さえながら目を覚まし、ぷるぷると頭を振って意識を覚醒させた。
「あ、わ、ワルキューレ? えっと、あたいどうしたんだっけ……?」
「衝撃波でお前は吹き飛ばされたんだ。それより早く起きて敵の始末を手伝え」
「敵?」
ワルキューレが指す方へこっそりと身を乗り出してみると、剣や槍で武装した骸骨がうろつき回っている。
それを見たハーピーの眼が、一瞬にして狙撃者のそれに変わる。
「ふん、スパルトイか……了解じゃん」
「奴らに普通の弾丸やお前のフェザー・ブレットは効かん。これを使え」
ワルキューレが差し出したのは無傷で済んでいた精霊弾の予備カートリッジだった。そこから弾丸を抜き、ハーピーの掌に握らせた。
「それで正確に奴らの頭蓋を破壊してくれ。頭部が消滅すれば二度と再生しない」
「任せとくじゃん。いいかげんこんな調子ばっかだと愛想尽かされそうだし」
「連中の目は私が惹き付ける。スナイパーの腕の見せ所だ」
「オッケー!」
ワルキューレは再び小さく変化し、スパルトイの群れの中に飛び込んでいく。彼らの間を素早く飛び回り、武器を振りかざした脇を高速で離脱する。
直後、上空から光線のごとき弾丸が放たれた。
精霊石の直撃を受けた頭蓋は、まばゆい輝きと共に消滅し、頭蓋を失ったスパルトイの身体は二度と再生することはなく、やがて塵となって消えた。
「どう? どう? あたいも結構イケるじゃん?」
空中から正確無比な狙撃を成功させたハーピーは、自慢げに笑ってみせる。ハーピーに気付いたスパルトイは矢を放ってきたが、そんなものはハーピーにとってはあくびが出る速度でしかない。
それを難なくかわすと同時に精霊石弾を頭蓋に撃ち込み、弓を持つスパルトイを消滅させた。
「いいぞ、その調子で頼む!」
「あいあいさー!」
ワルキューレとハーピーの絶妙なコンビネーションは、戦うだけしか能のない骸骨戦士達を次々に塵へ帰していくのだった。
港にはおびただしい兵士の死体が転がり、歩き回っているのも蘇った死体ばかりとなっていた。原子力潜水艦に続く橋の上で、ルシエンテスは身動きの取れないベスパを肩に抱えたまま歩いている。
足元に転がった兵士の死体を海に蹴り落とし、潜水艦の上に降り立つと、ベスパを適当なところに降ろしてミサイルのハッチへと近付いていく。
「むん」
ルシエンテスが念じると重厚な鉄板が次々と吹き飛び、無数の弾道ミサイルが姿を現す。
無機質な沈黙を守るこの小さな弾頭に、膨大な死の障気が潜んでいる。
それをしげしげと見つめたルシエンテスは、ヒゲを弄りながら考え込む。
「ふむ……おおよそ五つくらいか」
ステッキで足元をカツンと叩くと、発射管から五本のミサイルが宙に浮かぶ。そのミサイルをひとつずつ小突いていくと、ロケットの部分が分解して海に落下し、弾頭だけが残った。
目の前に浮かぶ弾頭を満足そうに眺めるルシエンテスを、ベスパは自由の効かぬ体でじっと見つめていた。
かつて南極で核ミサイルの集中砲火をくぐり抜けたことがあるベスパは、目の前に浮かぶ一発の威力がどれほどのものであるのか、データの他にも経験としてよく知っている。
(こいつ……核弾頭なんて何に使うつもりなんだ?)
当然ながら鑑賞目的のはずがない。
人類や奴を追う魔族に対する威嚇のつもりか、それとも他に目的があるのか。
いずれにせよ、ルシエンテスの目的が非常に危険なものであると言うことを、ベスパは肌で認識していた。
「ルシエンテス!」
その時、太陽を背に受けて潜水艦に飛び移った男が叫ぶ。
全身を無数に走る切り傷。乱れた銀糸が端正な顔に掛かり汗ばむ。
ボディスーツの切れ目からは紫の血が滴っている。
だが、老紳士を映す瞳は凍り付くほどの冷たさを秘めていた。
「ほう、以外と骨があるようじゃな小僧。こんなに早く追いついてくるとは立派なもんじゃ。お前さんの名を聞いておこうか」
「我が名はジークフリード……貴様に引導を渡す者の名と憶えておけ!」
「威勢のいい事じゃ。若者はそうでないといかんなあ、うむ」
「ベスパと弾頭を元に戻せ」
「できん相談じゃな。ワシにも色々と都合があってのう。第一ここでノコノコ帰ったらワシがバカみたいじゃろ?」
「ならば……実力で排除する!」
「ふん、勝手な奴じゃな」
ルシエンテスは眉をひそめ、やれやれと言った表情でため息をつく。
二人が睨み合っているのを見ながらベスパも必死に力を振り絞って立ち上がろうとしたが、やはり膝が折れてその場に倒れてしまう。
「ジ、ジーク」
「待っていろベスパ。すぐにカタを付ける」
ルシエンテスはベスパとジークを交互に見て、ふとあることに気が付いた。
「お前さん、この小娘にずいぶん熱心じゃな。もしや――」
ルシエンテスは小指を立て、ジークの顔を覗き込むように尋ねた。
「コレかの?」
ジークと、そして倒れているベスパの顔が真っ赤に染まる。
「なっ、何を言い出すんだ貴様!? 俺とベスパはそういうのでは――!」
「違うのか? だったらワシがもらっていっても問題なかろうが」
「問題ないわけあるかぁぁぁぁぁぁッ!」
ジークとベスパが叫んだのは見事なほどに同時だった。
二人の言葉を聞いて、ルシエンテスは腹を抱えて笑い出した。
「ファファファ! いや、実に判りやすいのうお前さんら。丁度良い楽しみが増えたわ」
「な、何だと!」
一瞬気が抜けたその瞬間だった。
変わらず飄々とした老紳士が人差し指を軽く払った瞬間、目視できぬ真空の刃が放たれていた。
「ぐあああああっ!?」
ゴトリ、と重い音がした。
左脚の太腿が切断され、ジークの身体を離れて転がった。
同時にジークもその場に崩れ落ちていた。
「ジーク!!」
ベスパは身動きの取れない自分の体が心底恨めしかった。
いくら魔族といえどこれはたまらず、傷口を押さえて歯を食いしばるジークにルシエンテスが笑いながら語りかけた。
「注意一秒、怪我一生とは名言じゃな。じゃが安心せい、まだ殺しはせんよ」
「ぐぐ……ッ、貴様……!」
「近頃刺激が足りんと思っていたのでなあ。もう一度ワシの遊び相手になってくれるなら、小娘は返してやっても良いぞ。ワシの居場所はしもべが知っておるから、せいぜい必死になって小娘を取り戻しに来るがいい。ファファファ――!」
ルシエンテスは高らかに笑い、ベスパを肩に担いで宙に浮かび上がった。どんどん離れていくジークを見ながら、ベスパは叫んだ。
「ジークっ!」
「か、必ず助けに行く! それまで――」
言い終わらぬうちに、ルシエンテスとベスパ、そして五つの核弾頭は異空間へと消えてしまった。
「くっ……うおおおおおッ!」
あまりの口惜しさにジークは両の拳を潜水艦に何度も叩きつけた。
紫の血溜まりで絶叫しながら、ジークの意識はぷつりと切れた。
完全な――二度目の敗北であった。
「これをこうして……よし、データの復元もそろそろ完成じゃな」
土偶羅は休むことなくデータの復旧を続け、ようやく必要な部分を元通りに復元させていた。データを文字に変換し確認していた土偶羅は、その内容に原子炉が緊急停止するかと思うほどの衝撃を受けた。
「な、なんという……これは一大事だぞ」
「どうしたんでちゅか土偶羅様?」
「ぽ?」
土偶羅の慌てように気付いた手伝いのパピリオが、ハニワ兵と一緒に横から顔を覗き込む。
「アシュタロス様の言っていた『あれ』とは、コイツのことだったのか! こんなものが動き出したら、人間界どころか魔界も神界もめちゃくちゃになってしまうぞ!」
パピリオもハニワ兵も、土偶羅の狼狽の意味がわからず、ただキョトンとするばかりだった――
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