蜂と英雄
第8話
イタリア。
シチリア島タオルミーナ
タオルミーナはシチリア島の東端、カターニア地方のさらに端に位置し、タウロ山腹にあるシチリア屈指の景勝地である。
この町から眺めるエトナ火山や、ナクソス海岸の眺めも絶品として名高く、さらに考古学・歴史的文化財の宝庫でもあり、古代ギリシア劇場が観光地として特に有名だ。
夏にはギリシア劇場をそのまま使った音楽祭なども行われる、風光明媚な町として知られている。
アンジェラの後について町を歩いていたベスパは、小さな売店に並んでいた新聞から、自分が今いる場所がタオルミーナであることを知った。元いたマルセイユは、海を挟んだ遙か彼方。
ずいぶん遠くまで連れてこられたものだと、ベスパは小さく嘆息した。
細い坂道の多いタオルミーナの町をずっと下っていくと、やがて大通りに出た。レンガや石材を上手に用いたクラシカルな建物は、現代の町並みとして違和感なく溶け込んでいる。
こうしたデザイン文化や建築が失われないのは、芸術やスタイルにとことんこだわるイタリア人の国民性によるものだろう。
タオルミーナの町並みを眺めながら、ベスパは考える。
アンジェラがルシエンテスのしもべなら、空くらいは飛べるはず。しかし彼女は目立つのを避けるためか、徒歩でどこかを目指している。
途中でバスに乗り、揺られること約一時間。カターニア空港へと辿り着いた。
アンジェラは二人分のエアチケットを用意しており、ベスパは彼女の保護者という名目で登録されていた。
行き先はイタリアの首都、ローマ。
(何から何までご丁寧だね。あのジジィ、私が一緒に付いてくる事を分かってたのか?)
小さな飛行機に乗ってさらに一時間ほど飛び、イタリア本土のレオナルド・ダヴィンチ空港へ。そこから電車に乗って、二人はローマ市内へと入った。
ちなみまん丸目の犬は、乗り物に乗っている間はピクリとも動かず、添乗員に質問されても、アンジェラがぬいぐるみと言い張って誤魔化していた。
ローマ市は古代ローマ帝国から続くイタリアの首都であり、観光名所として世界で五本の指に入るほどに有名である。
コロッセオを始めとした、古代の建造物が現在も数多くその姿を残し、伝統ある歴史と文明が高度に融合した都市だ。
そして世界中のGSにとって、霊的に重要な場所であるヴァチカン市国の所在地――それがローマなのだ。
(ジジィの狙いそうな場所ではある……か)
ローマ市内を歩きながら考えるベスパだったが、そんな彼女の思考を阻む問題が新たに発生していた。
(はあ……こいつら)
ベスパはこめかみを押さえ、心底疲れたようにため息をつく。
「美しいお嬢さん、俺と芸術について語らないか? 例えば美しい彫刻や――君のこととか」
イタリアの男性はとにかく女性によく声をかける。
女性には声をかけるのが礼儀であると言わんばかりに積極的なのである。
ましてやベスパは、イタリア人男性が好みそうなスタイルをしているためか、数十メートル歩かないうちに声をかけられるという状況の繰り返しであった。
大抵の相手は無視していればさほど食い下がってこなかったが、今度の相手はしつこかった。
無論、どこにでもいる普通の若い男に違いはないが。
その男はいくら無視しても付いてきて、何度も目の前に立ち塞がってくる。
いくら断ってもついてくるのがイタリア男とよく言うが、この状況がまさにそれであった。
あまりのねばり強いアタックに、元来さほど気が長いわけでもないベスパの忍耐はすでに限界に達しようとしていた。
……が、先に口を開いたのは彼女ではなかった。
「邪魔しないで」
先を歩いていたアンジェラが戻ってきて、男の裾を引っ張っていた。
男を見上げる顔は相変わらず無表情だったが、その声にはわずかばかりの苛立ちが含まれている。
「ん? すぐ済むからお子様はあっち行ってろよ」
「……ダメ」
きっぱりと言い放つアンジェラの言葉に、男の眉がわずかにヒクつく。
裾を掴む手を払おうとしても、彼女は首を振って離そうとしなかった。
「おい、ちょっ……手を離せって」
「あっ……!」
少々乱暴に振り払われた腕が顔に当たり、アンジェラは突き飛ばされてしまう。
すかさず犬がクッション代わりに受け止めたが、アンジェラはその場で尻もちをついて座り込んでしまった。
男は手で顔を押さえ、バツの悪い顔をしたが、どうやらアンジェラに大事はないようでホッとため息をついていた。
が、次の瞬間胸ぐらをものすごい力で掴まれ引き寄せられる。
ベスパは片手で男の襟元を締め上げ、凍り付きそうな視線で男を睨む。
あまりの迫力に男はゴクリと息を飲むしかない。
「これ以上、私の機嫌が悪くならないうちに消えな」
「は、はひっ!?」
突き飛ばされてアンジェラと同じように尻もちをついた後、男はもつれそうな足取りで去っていった。
目を閉じ、ひと呼吸ついて気持ちを落ち着けたベスパは、立ち上がれずにいるアンジェラの傍へ近付く。
やや前傾になり、手を差し出してベスパは微笑んだ。
「大丈夫だった?」
「あっ……」
自らの前に差し出された手を見た時、アンジェラはかつて自分がここに在る以前の記憶を思い出していた。
夜の闇とはまったく違う、もっと深いところ。
消えてしまうだけだった自分が引き上げられたあの時。
アンジェラはその手に触れることができなかった。
触れてしまえば、また何かが変わってしまうような。あの時、彼女の魂を貫いた衝撃はそれほどに強烈で。
上手く説明しようのない暗雲が、胸の中に重く立ちこめて、アンジェラにそれをためらわせた。
「どこか痛むのかい?」
じっとしたままの彼女にかけられた言葉は優しかった。
ベスパの瞳に宿る光は、感じたことのない『何か』をアンジェラにもたらしていた。
未知の出来事に混乱しながら、ぷるぷると頭を振ると、ベスパは再び微笑みながら手を差し伸べた。
「ほら、掴まって」
「……!」
握られた手の感触に、思わずアンジェラは目をつぶってしまう。
しかし、あの時とはまるで違う感覚が、彼女の全身を包んでいた。
あの時。
深淵に溶けてゆく自分を引き上げた手は、骨のように硬く、ひどく冷たかった。
それ以上に、かつての全てだったあの場所のこと。
どこまでも深く、暗く、孤独で。
何物も存在しない場所のイメージが、差し伸べられる手と重なり合う。
しかし――自分の掌を握り返してくるものは温かくて、柔らかかった。
広がっていく。
穏やかな波のように、柔らかな日の光のように。
それはアンジェラが初めて感じる、温もりだった。
「うん、怪我はしてないみたいだね」
ベスパは手を引いてアンジェラを立たせると、今度は自分が跪いて服の埃を払ってやっていた。
キョトンとしてされるがままのアンジェラに、ベスパは言う。
「妹がね、いるんだ。本当は双子みたいなもんなんだけどさ。あんたより体は大きいけど、結構手がかかるのよ……って、ごめん、関係なかったね」
「あ、あの」
アンジェラはうつむいたり顔を上げたりしながら、自分が何を言うべきか迷っていた。
そして、ぎこちなくベスパを見つめ、ゆっくりとその言葉を口にする。
「あ、ありがと……う」
「いいんだよ、気にしないで」
アンジェラはまだ何かを言いたげな表情で微笑むベスパを見上げていたが、やがて目線を戻して歩き出し――と思いきや、一歩だけ進んで再び彼女は振り返った。
そしてゆっくりと、ゆっくりと右手を差し出したのだった。
普通の子供が望み、求めるのと変わらぬように。
(この子……)
ベスパはやはり信じられなかった。
あの魔導師はこんなに幼く無垢な子供を何のために?
これより向かう先の事実を見た時、もう後戻りできなくなるのではないか。
予感にも似た不安がベスパの脳裏をかすめていく。
だが、目の前にある手はとても小さくて。
振り払うことなどできはしなかった。
そっと手を握り返した時、アンジェラはじっと繋がれた手を見ていた。
手のひらに伝わる感覚を確かめるように、じっと。
やがてただ握られるままだった小さな手に力が入り、しっかりとベスパの手を握り返してくる。
そして、顔を上げたアンジェラは小首を傾げるようにして呟いた。
「あったかいね」
それはまるで、小さなつぼみが花開いたような。
笑っていたのだ。
着替えた時に見たようなぎこちないものではなく、確かに。
太陽の光を一杯に浴びた可憐な花のように、可憐で柔らかで。
見る者の胸を温かくする笑顔が、そこにあった。
「へえ……そんな風に笑うんだ」
「笑うと……ヘン?」
「ううん。いい表情(カオ)してるよ、とっても。その方がずっといいわ」
「えへへ……」
少し恥ずかしそうに、けれど嬉しそうにアンジェラは笑っている。
つられて微笑みながらも、複雑な思いがベスパの胸を駆け巡る。
(やっぱ……向いてないのかな、私は)
これほど強く感じた事はなかった。
迷いを処理できない自分を。
小さな手を離す事ができない自分を。
この子は敵であるはずなのに――
「じゃあ、行こ」
「あっ、ああ、そうだね」
難しい顔をして考え込んでいたベスパの手を引いて、アンジェラが催促する。
繋いだその手を離さぬまま、二人はローマの街を歩いて行く。
ローマのほぼ中心地に位置する文化遺産コロッセオ。それと隣り合うカンピドーリオの丘の南側に、フォロ・ロマーノと呼ばれる遺跡群がある。
フォロ・ロマーノは古代ローマの中心部であり、政治・経済・宗教の全てが執り行われていた。
霊的に見ても、ローマを走る地脈の上に位置している重要な場所である。
フォロ・ロマーノへの入場は無料で、観光客も気軽に古代の宮殿や広場の跡、雄大なパンテオンの柱などを見物する事ができる。
ベスパとアンジェラはこのフォロ・ロマーノにやってきていた。
コロッセオ側の入り口から入り、凱旋門をくぐり抜けて中心へと続く、聖なる道を踏みしめながら歩いていく。
周囲を見れば、二千年前から変わらぬ遺跡に、カメラのシャッターを押す観光客、笑顔で遺跡の説明をしているガイド、そしてこの周辺に住み着いている多数の猫。
それらの間を通り抜け、二人は宮殿跡までやってきた。
アンジェラは繋いでいた手を離すと、四つん這いになって地面を触り始めた。
犬も一緒になって、フンフンと匂いを嗅いでいる。
(何だ……?)
ベスパが様子を見ていると、恰幅の良い中年男性が近付いてきた。
ワイシャツに包まれた大きな腹をゆすり、ハンカチで汗を拭きながら男性は尋ねた。
「お嬢ちゃん達、ここで何を?」
「えーっと」
ベスパが言葉に詰まっているのを素通りし、男性は地面に夢中になっているアンジェラに近付いていく。
「地面に何かあるのかい?」
「……」
「ここは貴重な文化遺産だから、むやみに地面を掘ったりしちゃいけないよ?」
「邪魔しないで……!」
アンジェラは肩に触れようとした男性に手をかざす。
刹那――高圧の霊力が、アンジェラの小さな体から噴き出した。
男性は見えない力で吹き飛ばされ、近くの柱に身体をしたたかに打ち付けた後、ピクリとも動かなくなってしまった。
(アンジェラ――!)
分かりきっていたこと。
心のどこかで認めたくなかった事実に、ベスパは目を見開く。
もはや間違いはない。彼女はルシエンテスの眷属だ。
確信を得てなお、戸惑う心はどうしても抑えきれなかった。
(いざとなれば、この手であの子を……できるのか、私に)
アンジェラはやがてある場所で手のひらを地面に当てると、今まで見た事のない、乾いた目つきで地面を見つめていた。
やがて、彼女の髪がザワザワと浮き上がり始め、その小さな体に似合わぬ強力な霊気が立ちこめ始める。
人間のそれを遙かに凌駕した霊力の強さに、ベスパは思わず息を飲んだ。
感情のせめぎ合いは続いていたが、もはや迷ってはいられない。彼女がルシエンテスの手下ならば、その行動を黙認してはならないのだ。
おそらくは『あれ』という者の復活に繋がっているだろうから。
(それが役目じゃないか。しっかりしろ、私!)
ベスパはうつむき、うっすらと血が滲むほどに唇を強く噛み。
覚悟を決めた。
(無防備な今なら……)
ふと、妹の顔が心をよぎる。
それが、耐え難いほどにベスパの胸をきつく締め付けていた。
垂れ下がった髪にその表情を隠し、ベスパはアンジェラへ向けて一歩を踏み出す。
アンジェラが放つ霊気はやがて大地と共鳴し、ハッキリと感じられるほどに大地を揺るがし始めていた。
地の底から、強大なエネルギーがうねりとなって押し寄せてくる。
彼女が懐に手を入れ何かを取り出そうとしたとき、ふと大きな影が覆い被さった。
それを見上げた瞬間、丸太のように太い腕が少女の喉を握り締め、小さな体を高々と持ち上げた。
それは先程の中年男性であったが、顔は鬼のような形相へと変わっている。
「お前――!?」
ベスパは男性に飛びかかろうとしてハッとする。
彼から発せられている気配は、人間のものではなかったからだ。
「こんなチビが目標とは思いもよらなかったが……間違いない。そしてベスパよ。貴様が敵の行動を阻止しなかった理由も聞かせてもらうぞ」
途端、男の顔面が真っ二つに割れ、二本の角と鋭い牙を生やした黒い皮膚の魔物へ変身する。
彼はデーモンと呼ばれる魔族の一人で、殺気に血塗られた目でベスパを睨んでいた。
「あんた正規軍かい。どうしてここが?」
「報告されたデータを元に、ルシエンテスの手下が次に現れるポイントを張っていたのさ。そこらにいる観光客も全員――」
デーモンが周囲に目をやると、今まで単なる観光客だった連中の全てが人の姿を脱ぎ捨て、魔族本来の姿へ変貌していた。
何人の正規兵がこの場にいるのか、数え切れないほどだ。
「少々大げさすぎるかもしれんが、命令を受けては仕方ない。それに、場合によっては貴様を始末しても構わんと言われているぞ」
「なッ!?」
「しょせん貴様は働きバチ。代わりなどいくらでもいるということだ」
「待って、私は情報を手に入れようと――!」
「もっとも……貴様の事情などどうでもいいがな」
青ざめた顔で弁解しようとするベスパの言葉を聞き流し、デーモンは冷酷な口調で続けた。
「アシュタロスの件は、俺たちにとっちゃ実に不愉快だったぜ。それに、ここで万一の事が起きても、作戦中の不幸な事故ってコトで済むよな……ククク!」
「お前……!」
デーモンは愉快そうにあざ笑う。
そして高々と持ち上げたアンジェラに魔族特有の残虐な視線を向けると、その手に込める力を更に強めながら呟いた。
「このガキをひねり殺したら、次は貴様の番だ。どんな声で鳴くか楽しみだなぁ、ええ?」
「てめぇ……それでも――!」
ベスパの感情が爆発しかけた瞬間、デーモンの背後から巨大な影が伸び上がり、角の生えた頭に覆い被さる。
「うおっ!? 誰だ、放しやがれ!」
(あ、あれは……!?)
デーモンの頭部を鷲掴みにする腕には、皮膚がなかった。
真っ赤な筋肉が伸び縮みし、黄色い血管の中を真っ黒な血液が流れている。
「なっ、なん……!!」
言い終わらぬうちに、水の詰まった風船が割れるように、肉片と体液が飛び散った。
頭部を失ったデーモンの肉体は立ったまま痙攣し、アンジェラは解放されて地面に降りた。
ベスパはデーモンの向こう側に立つ姿に凍りつく。
紛れもなく、魔界の湖で見た怪物ナックラヴィーだった。
おぞましい姿のナックラヴィーは、シューシューと奇妙な呼吸音を響かせている。
反射的にベスパは後ろに跳躍し身構えたが、ナックラヴィーはチラリとベスパを見ただけで、アンジェラの傍を離れなかった。
その姿はまるで、
(まさか、あの犬……気配なんて全然感じなかったのに!)
推測ではあるが、他にナックラヴィーが出現する理由を考えられない。状況はますます悪い方へと転がり始め、戦慄のベスパを、更なる殺気が迫る。
周囲を取り囲む正規軍兵士達の銃口が、ベスパとアンジェラを狙っている。
鈍く光る銃口から、ただひとつの感情と共に弾丸が放たれた。
死ね――!
「い……嫌ぁァァァァァァァッ!」
絶叫。
四方から銃弾が突き刺さる直前、アンジェラは空気を引き裂くほどの声を上げた。
恐怖への悲鳴か、自己防衛のための本能なのか。
突き刺さる無数の殺意が、彼女の心を引き裂き、爆発させた。
闇よりもさらに深い闇――全ての根源をなす深淵の濁流が、黒い光となって小さな体から溢れ出す。
それを浴びた弾丸は塵となって消え失せ、アンジェラやベスパには届かない。
黒い光を身体に纏いながら、アンジェラは立ち上がる。
消してしまいたい――自分に『それ』を向ける全てを!
幼いがゆえの純粋な思考はより鮮明にそのイメージを形に変える。
隙間から差す光のように、黒色のそれは光速の槍となって、正規軍兵士達を襲い始めた。
気付いた時には貫かれ、正体が掴めない攻撃に兵士達は為す術が無く、次々と倒れていく。
混乱する兵士達の中へナックラヴィーが躍り込み、嬲り、屠る。
フォロ・ロマーナは阿鼻叫喚の地獄へと変貌していった。
「やめろーーーーーーーッ!」
ベスパの絶叫が空を裂く。
それは味方の命を惜しんでの事か、それとも。
アンジェラは黒い光を放ち続け、エメラルドの瞳を濡らして呟く。
「嫌い……みんな、嫌い……!」
この世に生まれ落ちたその時から。
彼女にとって、この世界の全ては自身に向けられた敵意でしかなかった。
父親にフライパンで焼かれ、醜く変わり果てた姿を母親に疎まれ。
思考さえままならない赤子だった彼女の本能は、全ての感覚を閉じ、この世界との繋がり全てを絶つことを選んだ。
そして今。力と身体を持つに至った彼女の本能は選ぶ。
自らに向けられる敵意全てを、排除することを。
少女の双眸からこぼれ落ちる雫が、歴史の残骸に当たって弾けた。
ローマに駆け付けたGS一行が目にしたものは、魔族の血で染まった遺跡と死体の山だった。
凄惨な光景の中で、幼い少女と醜悪な怪物、そしてベスパだけが立っていた。
「一足遅かったか……にしても、これは酷いわね」
さすがの令子ですら、もの言わぬ肉片と化した魔族の死体に青ざめている。
「ベスパ、無事だったか!」
「ジ、ジーク……」
令子達の後ろから現れたジークの姿を見た時、ベスパは心臓が止まりそうなほどの恐怖を感じた。
アンジェラはパワーだけならルシエンテスに匹敵、あるいはそれ以上の危険度を孕んでおり、自らに害を及ぼそうとする者に対して、一切の容赦がない。
もし彼らが――ジークがアンジェラを殺そうとしたなら、足元に転がる屍と同じ運命を辿るだろう。
ジークが呼んだ応援は、一度は世界の危機を救った勇敢な人間たち。
たとえ自分がしくじったとしても、あの人間たちには逆境を乗り越える度胸と知恵がある。
だがアンジェラの能力や正体も知らぬままでは、まず勝ち目はない。
ここで連中を死なせてしまっては、最後の希望も潰えてしまう。
それだけは。
それだけは何としても回避しなければならない。
「もう大丈夫だ、今からそっちに――」
「来ないでッ!」
近付こうとしたジークは思わず足を止めた。
ベスパの体からは激しい霊気が放たれていた。
「ジークだけじゃない……みんなそれ以上近付かないで。どうしてもって言うなら、私が相手になってやる!」
裏切ったのか――
誰かがそう言った気がした。
だが、ジークの言葉は耳に届かない。
ベスパとジークの視線が、静かに交差する――
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