蜂と英雄

モドル | ススム|モクジ

  第12話  

「こちら西条。敵の動きはどうですかヒャクメ様」

 忠実に情報処理をこなしてくれる人間の女性オペレーター達に色々と指示を出していたヒャクメは、西条からの連絡を受けてモニター前に立つとヘッドホン型のマイクを手に取った。
 傍らにはせわしなく動き回る彼女らを邪魔しまいと、じっと状況を見守っている小竜姫の姿もある。

「ご苦労様なのねー西条さん。シチリア島の前線では現在も激しい戦闘が続き、防衛線を迂回した無数の魔族達が、海上から直接ローマに向かって来ていますねー。現在の速度を維持したままなら、約一時間後にはイタリア本土に上陸するでしょう。攻撃チームはすでにヘリで出撃、敵の背後を突く形でシチリア島に向かっていますねー」
「こちらの避難作業は想像以上に苦労していますよ。なにしろ急のことで、住民も対応が追いついていないんです。敵の上陸ポイントと戦闘想定区域周辺の避難はどうにか完了していますが、ローマ全域の完全な避難は到底間に合いそうもありませんよ」

 西条の背後には、不安な表情で身を寄せ合う住民達が長蛇の列を作り、係員の指示によって軍のバスやヘリコプターへ乗り込んでいく。
 西条の声と表情は重く、現場での深刻な状況を語らずとも滲ませていた。
 ヒャクメとて、その心中は西条と何ら変わることはないのであるが。

「こちらもイタリア軍に要請して、心霊装備に換装した戦闘車両と戦闘機の部隊を用意してもらいました。敵がローマ市内に迫ったら彼らと合流・協力して、できるだけ敵の侵攻を食い止めてください。それまでは民間人の避難を最優先して欲しいのねー」
「了解。全力を尽くします」

 通信を終えてマイクを置き「ふぅ」と軽く一息ついたヒャクメの傍で、小竜姫は目を伏せたままうつむいていた。

「どうしたの小竜姫?」

 ヒャクメが訊くと、小竜姫はゆっくりと顔を上げた。

「悔しくて。重大な危機が迫っているというのに私は――」
「仕方ないのねー。小竜姫は妙神山に括られてるんだから、こんな遠く離れた土地の事件は管轄外でしょ?」
「仮にも私は仏法の守護者の末席を汚す龍神なのに。何も手伝えないなんて……」
「敵が数で攻めてきてる以上、わずかな時間しか行動できない小竜姫が出て行っても結果は見えてるのねー。今は人間と、魔族の軍隊が持ちこたえてくれるのを祈りましょう」

 冷静に、しかし優しくなだめるようにヒャクメは言う。
 的を射た言葉に一瞬表情が強張るものの、小竜姫はやはりその通りだと納得して力なく肩を落とした。

「……取り乱してごめんなさい。そうね、今の私は足手まといになるだけね」

 深く息を吸い込み、自分に言い聞かせるように小竜姫は伏せていた顔を上げる。
 落ち着いた様子の小竜姫にヒャクメも頷き、互いに魔族達の状況を映し出したレーダーディスプレイに目をやっていた。
 そしてふと、思い出したように小竜姫が訊いた。

「ところで、ジークはまだ見つからないのかしら」
「う〜ん……今のところ目撃者情報は無いし、私の千里眼にも映らなくて正直困って……って、ああっ!?」
「どうしたの?」

 何かに気付いたヒャクメが慌てて後ろを振り返ると、それにつられるように小竜姫も振り返る。
 オペレーションルームの出入り口に、棒状の何かを布きれで包んだものを手にしたジークが立っていた。
 ジークの顔は仮面のように固まり、普段の柔和な表情が無い。
 ヒャクメと小竜姫はジークの元に駆け寄り、今までどこにいたのか、何があったのか、ワルキューレはどうしたのかと矢継ぎ早に質問を浴びせるが、ジークは疲れたように無言で首を振るだけだった。

「細かいことは後で話す。それよりも現在の状況を説明してくれないか」
「そ、そうね。実は――」

 ヒャクメは魔族の群れが押し寄せてきたこと、ワルキューレが奪取した黄金の林檎のこと、この事態にGS達が二手に分かれて対処していることを語り、事態はいよいよ切迫しているとジークに説明した。

「あの宝玉は魔神復活の……近くで見たいが構わないか?」
「ええ。ただし強力な小型の結界が張ってあるから、触れることはできないのねー」

 ヒャクメに案内され、ジークは黄金の林檎が保管してあるケースの前までやってくる。防弾ガラスと結界の魔法陣で厳重に護られた黄金の林檎は、以前と変わらず淡く輝き続けていた。
 それを無言で見つめるジークの様子が、何か思い詰めているような気がして、ヒャクメと小竜姫は顔を見合わせる。行方不明となっていたこの三日間に、一体何があったのか尋ねようとしたその時、ジークが一足先に動いた。

「結界を解除しろ。黄金の林檎は俺が預かる」
「……えっ?」

 ジークの右手には拳銃が握られ、冷たく輝く銃口はヒャクメの眉間に向けられていた。
 突然のことに状況が呑み込めず、固まってしまった彼女に向けられたジークの瞳は普段の彼からは想像もできないほどに冷徹な光を帯びていた。

「何をするのジーク! 気は確かですか?」

 咄嗟に神剣の柄を握りしめて身構える小竜姫。彼女の大きな声に周囲のオペレーター達も事件に気が付き、作戦司令室は騒然となった。
 だが、ジークはまるで意に介さず続ける。

「動くな。妙な動きをすればヒャクメを撃つぞ」
「く……!」
「さあ、黄金の林檎を渡すんだヒャクメ」
「ど、どうしてこんな事をするのねー?」
「俺も全知全能の力が欲しくなった……それだけさ」

 銃口を突きつけられながら、ヒャクメは心眼でこっそりジークの心を覗いてみようとした。だが彼の精神には強固なプロテクトがかかっており、黄金の林檎を強く求めているという曖昧な情報以外は引き出すことができなかった。

「無駄だ。魔族の情報士官は、心を読まれない訓練も積んでいる」
「あうあうっ、ま、またしても私ってば役に立ってない気が……」
「さあ、結界を解くんだ」
「こ、ここで言うことを聞いたら、本当の役立たずって言われちゃうのねー。あんまりバカにして欲しくないのねー」
「意外だな……思ったより立派な心がけじゃないか」
(本当はすっごく怖いんだけど……うう……)

 我が身可愛さに林檎を渡してしまえば、保身と世界を天秤にかけた者として永久に消えない汚名を受けることになってしまう。いくら穏やかで臆病な性格の神とはいえ、ヒャクメにもプライドというものがある。
 引き金から指を外さないジークに向かって、小竜姫が神剣を鞘から引き抜いて叫ぶ。

「銃を降ろしなさいジーク。それが敵の手に渡ればどうなるか、あなたが一番理解しているでしょう!」
「理解しているさ……だから必要なんだ」
「平穏と読書が好きで、パピリオともよく遊んであげて……私の知っているジークはこんな事をする魔族ではないわ。お願い……!」
「……黄金の林檎を渡せ!」

 ジークがにわかに言葉を荒げた刹那、ヒャクメの心眼にジークの心象風景が断片的に映し出される。

 鍵の束。
 重く錆び付いた鉄の扉。
 朱の炎ゆらめく松明。
 一柄の美しい長剣。

 そして――

 剣に貫かれるワルキューレ。

「ジ、ジーク……あなたワルキューレを――!」
「ああ。この手で始末した」

 あくまでも平静に、言葉は吐き出された。
 もはや目の前にいる青年は、穏やかな性格のジークフリードではない。肉親殺しをも厭わぬ、純粋な魔族そのもの。

「邪魔をするなら、容赦はしない」

 ヒャクメの頬を冷たい汗がしたたり落ちる。
 さっき垣間見えた心の冷たさは、紛れもなく本物。
 小竜姫は神剣を正眼の構えに取り、ジークを睨みつける。

「ならば尚更……そんなあなたに、それを渡すわけにはいかない!」
「ここで戦うつもりか。人間達が巻き添えになるぞ」
「心配には及びませんよ。一太刀で決めてみせます」

 小竜姫とジークは互いに睨み合い、しばしの沈黙。
 状況を見守っていた人間のオペレーターが、思わずペンを床に落とした瞬間、張り詰めた空気を破って先に動いたのは小竜姫だった。

「でやあああああ!」

 高速の踏み込みと同時に頭上に掲げられた神剣は、目の前の敵を両断せんと打ち下ろされる。神剣と、天界にその名ありと謳われた剣士の一撃は全てを断ち切る――はずだった。

「!?」

 ジークの左手に握られていた棒が、小竜姫の剣を受け止めていた。
 剣圧で弾けた布の中から現れたのは、漆黒の鞘と妖しい輝きを放つ銀の刃。
 上段から打ち下ろされた小竜姫の刃を、その剣は正面から受けて見せた。ジークは残っていた鞘を外し受け止めた刃を横方向へ流し、返す刀で逆水平に薙ぎ払う。

「う……!?」

 小竜姫はすんでの所で身を引き、衣服の袖と薄皮が少し切れただけだったが、突然膝を付いて神剣を手放してしまった。

「どうしたのねー小竜姫」
「そ、その剣は……!」

 全てを語り終えぬまま、小竜姫は小さな角の姿――つまり休眠状態へと変化してしまった。それを見届けると、ジークは黄金の林檎が保管されている結界の方へ向かう。
 手にした長剣で結界を素早く袈裟斬りにすると、硬質な音と共に結界は消滅し、一拍の間を置いて防弾ガラスが斜めに切り裂かれてずり落ちた。

(ガラスは普通に切れたけど……結界はエネルギーそのものが吸収されて消滅したのね……!)

 ヒャクメの心眼だけが、一瞬の出来事を見抜いていた。
 すると突然ジークは歯を食いしばって表情を歪め、震える手を必死に動かして剣を鞘に収めた。完全に刃が収まると、ジークの震えも止まり表情も落ち着いていくが、ジークの額にはじっとりと脂汗が浮かんでいた。

「ハァハァ……これで一回……た、確かに強力だ」

 誰に言うでもなく呟いた後、ジークはついに黄金の林檎を手に取るが、彼の表情に歓喜の色は浮かんではいなかった。
 何かを確かめるように、じっと黄金の林檎を見つめているだけだった。

「ジーク、あなたは……」

 ヒャクメの言葉に我に返ったジークは、ゆっくりと顔を向けた。
 悪意に染まった魔族とは違う、いつものジークの顔だった。

「あの魔導師を倒すにはこれしかない。この方法しか……小竜姫には、すまなかったと伝えておいてくれないか」

 ヒャクメはただコクリと頷いた。
 もはやジークは心を隠してはいなかった。
 なぜこんな事をしたのか。
 これから何をするつもりなのか。
 心のイメージが、全てをヒャクメに伝えていた。

「それから……姉上のことも頼む」
「わかったのねー。ジークも気をつけて」

 ジークはフッと微笑み、黄金の林檎を持って基地を去る。
 ローマに魔族達が押し寄せる直前、単独でシチリア島方面へ飛ぶ影があったが、この非常事態の中でそれを気に留める者はほとんどいなかった。




 奇妙な曲がり方をした木が生い茂った森の中にその泉はある。
 こんこんと湧き上がるその水は別の次元から湧いてきているのだとも言われているが、その水は不思議な効力を備え、肉体の傷や霊的構造の損傷までも治療してしまうのだという。
 穏やかで美しい水鏡の底に、女性が横たわっていた。
 腹部には刺し貫かれた後が痛々しく残り、紫の体液が少しずつ、じわじわと溶け出していた。

 ドクン……ドクン……

 やがて、小さな鼓動が聞こえ始める。
 溶け出していた体液が止まっていく。
 そして傷口が少しずつ閉じていき、ぴったりとくっついて痕さえ残らない。
 わずかに指先が動き、堆積した白砂を巻き上げる。
 鼓動は次第に大きく響き渡り、それが最高潮に達した時――

(ジーク!)

 水を滴らせる短いが滑らかな黒髪。
 切れ長の、強さと知性を備えた瞳。
 艶のある肉感的な唇。
 弟に刺され泉に沈められていたワルキューレは、静寂の水面を突き破って覚醒した。

「と、止めなければ……あいつ!」

 立ち上がろうとしてよろめき、ワルキューレは水の中に突っ伏してしまう。顔についた砂をぬぐい、歯を食いしばってワルキューレは身体に力を込める。泉の淵に体を寄せて這い上がろうとすると、数人の正規軍兵士が手を差し伸べていた。

「ワルキューレ大尉、神界のヒャクメより連絡を受け、お迎えに上がりました」
「寝過ぎたせいで体が言うことを聞かん。手を貸してくれ。それと、現在の状況を出来るだけ詳しく教えて欲しい」
「はっ」

 泉からワルキューレを引き上げた正規軍の兵士達は、両側から彼女を抱えて森の中から飛び去った。




 シチリア島エトナ火山のふもと。
 黒く煤けたような火山岩が剥き出しになっている平原の一角に、ほとんど原形を留めていない遺跡があった。その瓦礫に隠れて、美神令子をリーダーとする攻撃チームが様子を覗っていた。遺跡には所々地下に続く階段が口を開いており、そこから蟻が這い出すように魔族が続々と姿を現していた。

「あーあ、ぞろぞろ湧いてるわねぇ……カオス、地下の構造と、一番敵の出入りが少ない出入り口ってわかるかしら?」
「おお、新たに調達したセンサーの出番じゃな。頼むぞマリア」
「イエス、ドクター・カオス」

 カオスの指示によりマリアは地形の情報を集め始める。
 機械仕掛けの瞳に、周辺のありとあらゆる情報が表示された。

「……スキャン終了。結果・報告します。半径四キロの範囲内に・古代の地下墓地群を確認。さらに・地下百メートルの地点に・人工的施設と・高エネルギーを感知。魔族侵入ゲートの可能性・八十八パーセント。ゲート反応は・数ヶ所にて確認。魔族のゲート通過反応が最も低い出入り口は・現在地より・約二百メートルほど・北西のポイントです」

 マリアの指したポイントは目視できる場所にあり、物陰に隠れながら容易に移動できそうであった。

「意外と近くて助かったわね。さて、気合い入れていくわよ!」

 メンバー達が力強く返事をする中、ひとつだけ「は〜い」と腰が砕けそうな声が帰ってくる。
 声の主はもちろん、式神使い六道冥子。
 今回の攻撃班の人選で、最も物議を醸した人物でもある。
 だが、その人選の会議で彼女を推したのは令子だった。
 横島はこの怪現象について、令子にこっそり訊ねてみた。

「あの……美神さん。どうして冥子さんを連れてきたんですか? ぶっちゃけかなり不安なんですが」
「ああ、その話? そおねぇ、冥子は最終兵器よ」
「さ、さいしゅうへいき?」
「魔界とのゲートに向かうんだもの。大勢の敵に囲まれたら突破力が必要になるでしょ。いざとなったら、式神でボン! とやってもらった方がどさくさに紛れて逃げやすいでしょ」
「むむ……妙に納得してしまうぞ」
「納得したんならさっさと文珠の用意しておきなさい。地下は気が抜けないわよ」
「了解ッス!」

 新たに作り出した文珠を手に、横島は頷く。
 令子達がゲートに突入せんとしていた頃、ローマでもついに魔族達の上陸が始まっていた。
 戦いは最終局面に向けて動き出す――
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