蜂と英雄

モドル | ススム|モクジ

  第13話  

 湿っぽい空気が流れる地下への階段を令子達は下っていた。
 一歩踏みしめるたびに埃が舞い、カビ臭い空気で淀んでいる。
 人がひとり通るのがやっとなためか、魔族達もこの通路を使う事はないらしい。時折天井から砂がこぼれ落ち、髪が汚れて嫌だったが、魔族達とはち合わせしないだけマシだと自分を納得させながら令子は先を急ぐ。
 やがて地下とは思えぬ広大な空間が姿を現し、そこには規則正しく墓標が並んでいた。
 かつての貴族達の墓だったのだろうか。
 墓石は大半が劣化し苔がこびりついてはいたが、その作りはどれも大きく、十字架や装飾の施された豪華なものだった。
 小さな通路に身を潜めて地下墓地群(カタコーム)の様子を覗うと、墓地のさらに奥に見える扉から魔物達が一匹、また一匹と姿を現しては地上へと続く階段へ向かっていた。扉の向こうからは明らかに人工的な、暗い照明の光が漏れている。

「どうやらあの先にゲートがありそうね。出入り口も他に無さそうだし……横島クン、文珠の出番よ」
「はいっ」

 横島は文珠を手のひらに出現させ【隠】の文字を込める。
 これを使って敵の目を誤魔化しながら進んでいこうという作戦だ。

「ところで、効果の方は大丈夫なんでしょうね? 途中で切れたりしたらシャレにならないわよ」
「効果は実証済みですよ。最低でも十分は絶対にバレません」
「へぇ、大した自信ねぇ」
「何度も使いましたからねぇ。美神さんのシャワーとか六女の更衣室とか。いや、凄かった。あれは凄かった」
「ほっほ〜う?」
「よ・こ・し・ま・さん?」
「……はっ!?」

 得意そうに鼻の穴を膨らませている横島は、いらぬ事を口走ってしまったことに気が付いたが、時すでに遅し。
 暗い地下墓地の隅っこで、くぐもった声と鈍い音が数度響く。
 ボロ雑巾のようになった横島は、令子のヒールでグリグリと踏みつけられてしまった。

「す、ずびばぜんでじだ……も、もうしませんから許して……(がくっ)」
「まったくあんたって男は……おキヌちゃんも気をつけるのよ?」
「横島さんの……バカ」
「こんな時なのに、ずいぶん余裕ねあんた達」

 タマモがあきれたように呟くと、カオスが「いつものことじゃよ」とカラカラ笑う。
 横島への折檻を終えて、令子達は【隠】の文珠で姿を隠す。
 効果範囲はそれほど広くはないようなので、身を寄せ合うようにして一行は扉の奥を目指した。
 身を寄せ合うと聞いて、横島はすかさず復活していたりする。




 地下深くへと続く階段の終点は、古びた地下墓地とはまったく趣の異なる真新しい作りの場所だった。有機体と無機物が融合したような機械、もしくは回路のような物が床一面に広がり、広い部屋の中央には白く光る球状の物体と、その上に光の輪が水平に浮かび上がっていた。

 落日を思わせる、暗く輝く紫の光輪。

 様子を覗っていると、突如それは水面のように波紋を広げ、激しく波打って空間を震わせる。やがて暗く深い穴が水平に広がると、穴の奥から有象無象の魔物達が飛び出していく。しばらく魔物を吐き出した後、暗い穴は閉じ、元の暗い光の輪へと戻っていった。
 令子達は物陰からその様子を見ていたが、魔物達が出て行った後の部屋には見張りや警備の姿はない。誰もいないことを確認すると、令子達はゲートの目の前までやってくる。熱を感じさせない淡い光が、一行の影を闇の空洞に浮かび上がらせていた。

「結構大きいわね。床の機械がゲートを作ってるのか。どうカオス、何とかなりそう?」
「ふむう、別時空にチャンネルを作り出す装置のようじゃな。システムを凍結させてぶっ壊せば特に問題なかろう」
「じゃあ早速お願い。次の魔物が出てくる前にカタを付けましょ」

 早速カオスが床の装置の解析を始め、令子達が周囲を見張っていたその時。
 暗闇の向こうから革靴の音が鳴り響く。
 とっさに身構える令子の耳に、年老いた男の声が聞こえた。

「他人が作った物に無断で手を付けるとは、お前さん達は一般常識っちゅうもんがなっとらんな」
「あんたは……誰?」
「どっちかっちゅーとそれはワシのセリフなんじゃがなあ」

 神通棍を伸ばして身構えた令子は、徐々に浮かび上がるそのシルエットを確認して即座に確信した。
 飄々とした態度で語る、ブラウンのスーツに身を包んだ白髪の老人。
 事前に聞いていたルシエンテスの容姿そのものであった。
 彼の禍々しく冷たい雰囲気が、目に見えぬ重圧となって令子を包み込んでいく。

(コイツは――)

 数多の修羅場をくぐり抜けてきた令子の直感が、一見ただの老人にしか見えぬ魔物の本質をおぼろげながら見抜いていた。
 霊力の強さや威圧感だけでない、狂気の本質を。

「お前がルシエンテスね!」
「ほう、いつの間にかワシも有名になったもんじゃな。こんなお嬢さんにまで名が知れておるとは、光栄じゃの」
「あんた自分が何をしてるか解らないわけじゃないんでしょ? テュポンなんて誰にも制御なんてできないのよ?」
「制御? 何を制御するんじゃ」
「え……?」

 令子は一瞬キョトンとしてしまう。
 相手の口から出た言葉の意味が一瞬理解できなかったからだ。
 この場で質問を質問で返されるとは思ってもみないことだった。

「何をって、あんたはテュポンを復活させて」
「ふむ」
「復活させて……どうするんだっけ?」
「憶測でものを言うのはよくないのう、お嬢さん。ファファファ」
「とにかく、これ以上あんたの好きにさせるわけにはいかないわ。この美神令子と関わったからには……コイツをぶっ壊して、もれなく不幸になってもらうわ」

 神通棍でゲートの中心部を指す令子に、ルシエンテスは一瞬目を丸めたが、やがて玩具を得た子供のように笑みを浮かべる。

「んー、威勢のいいことじゃ。それを壊されるのは困る……が、大詰めの作業の前でワシも少々ヒマじゃからなぁ。お前さん達には暇つぶしの相手になってもらおうか。はてさて、この先……生き残る力がお前さん達にあるかな?」

 ルシエンテスが手にしていたステッキで地面を小突くと、ゲートが作動し再び暗い穴が姿を現す。ゲートの奥からはさっきと同じように、無数の魔物達が次々と湧き出してくる。ルシエンテスは部屋の壁際に下がり、魔物達に包囲される令子達を不敵に笑いながら眺めていた。

「ちっ、やってくれるわね!」

 だが、真の恐怖はその後に這い出してきた。
 突如立ちこめた奇妙な煙に追い立てられ、魔物達が逃げ出したかと思うと、ある魔物はのたうち回り、ある魔物は身体の一部が腐り始めて絶命していく。シューシューと不気味な音が穴の奥から響き渡り、穴の中から筋肉が剥き出しになった皮膚のない腕が伸びてくる。その手は粘液のようなもので濡れていて、ぬらぬらと光っている。
 続いて毛の生えていない巨大な頭が現れると、不気味な独眼で令子達を睨みつけ、歯をがちがちと鳴らして威嚇した。

「あいつはフォロ・ロマーナにいた怪物……話に聞いたナックラヴィーね」
「うげ、近くで見ると凄まじく気持ち悪ぃな……」
「個体名・ナックラヴィーの・体内より・高濃度の有害ガス発生を検知・腐食性有り。危険! 危険!」

 マリアのセンサーが、ナックラヴィーの有毒ガスを感知して警告する。令子達が身構える中で、ナックラヴィーは穴の縁を掴み、一気に這い上がろうとしていた。ところがヌメッた手のせいで縁を掴みそこね、したたかに顔面を打ち付けてナックラヴィーは落っこちてしまった。
 その場にいた全員が、

(……アホ?)

 と脱力しかけたが、穴の底から凄まじい咆吼が響いたかと思うと、一気にナックラヴィーが飛び出し、数匹の魔物を踏み潰して着地した。凄まじい障気に当てられ、踏み潰された魔物はあっという間に溶解し、白骨と化していく。
 並々ならぬ強敵の出現。さらに令子達の周囲には、猫が這い出す隙間も無いほどに、多くの魔族がひしめいている。

「何よもう、こないだと同じ状況じゃないの。冥子のスタンバイはできてる?」

 令子がチラリと振り返ってみると、棒のように固まった冥子がぐらっと傾き、マリアに寄りかかってしまう。
 その冥子を揺さぶりながら、おキヌが涙声で言った。

「美神さーん、冥子さんが気絶しちゃいましたー!」
「あ、あ……アホかーーーーッ!」

 さすがにあのスプラッタな外見に迫られるのは、冥子にはきつかったらしい。令子の絶叫がこだました途端、堰を切ったように有象無象の魔物達が雪崩れ込んだ。
 令子達は互いに背を預け、神通棍や破魔札、文珠やマリアのバルカンで敵の接近を食い止める。おキヌもネクロマンサーの笛で援護、タマモも狐火で敵を焦がして加勢する。
 カオスは冥子を抱えてウロウロしていた。
 が、これでは、

(ナックラヴィーにまで手が回らないじゃないのッ!)

 まずい状況に嫌な汗が止まらない令子だったが、目の前の魔物を一刀のもとに切り捨てた直後ある光景を目にする。
 目の前の魔物が邪魔で、前に進めず立ち往生しているナックラヴィー。ぴたりと動きを止め、どうしようかと考えて……わずか五秒。
 魔獣は行く手を邪魔する魔族達を力ずくでなぎ倒し始めた。
 しかも、あさっての方向を向いたまま、である。
 目に映る全てを皆殺しにするという魔獣は、興奮してすっかり本来の目的を忘れている様子だった。

(使えるわね……!)

 ボソボソと仲間に何事か伝えると、令子は迫る魔物を撃退しつつ移動を始めた。あくまで自然に、悟られぬように。目的の位置まで辿り着くと、令子はハイヒールの片方を手にとって、暴れ回るナックラヴィーに投げつけた。ハイヒールは見事に直撃し、ナックラヴィーは頭部を臼のようにぐるりと回して令子を見る。

「そこの不細工! あんたの相手はこっちでしょ。こんないい女を差し置いてよそ見してるんじゃないわよ!」

 令子の挑発に地団駄を踏み、ナックラヴィーは魔物達を弾き飛ばしながら猛然と向かってきた。
 バカが付くほど気持ちいい一直線である。
 すかさず飛び退くと、ナックラヴィーはそれでも止まらずに突進していった。
 その先には、高みの見物を決め込んでいたルシエンテスの姿。

「!?」

 勢い余ったナックラヴィーはそのまま壁に激突。
 部屋全体が軋み、天井にまで亀裂が走る凄まじい衝撃だった。

「ざまーみろっての。高みの見物を決め込んでられるほど、私達は甘くないわよ」

 してやったり、と令子が立ちこめる煙の向こうを見つめていると、薄暗い部屋に特徴のある高笑いが響き渡った。

「いやはや、結構結構。ただの人間共かと思ったが、ずいぶん場慣れしておるようじゃな……おかげで自慢の一張羅が汚れてしまったわい」

 見上げた上空にルシエンテスは浮かんでおり、土埃で薄汚れている。だが、ダメージを受けている様子はまったく感じられない。

「ならばワシも、少し腰を据えて遊んでやろうかな」

 ルシエンテスの瞳が赤く輝いたかと思うと、煙の中から魔獣のシルエットがむくりと起きあがる。
 その片眼に宿る光は頭上の魔導師と同じ、血のような赤。
 ルシエンテスは自らの精神波を送り込み、魔獣の行動全てを支配したのだ。ならばとおキヌがネクロマンサーの笛で精神支配の妨害を試みたが、強大な魔力の持ち主にはとても通用しなかった。
 耳元まで避けた巨大な口を開き、ナックラヴィーは濁ったガスを吐き出す。強烈な瘴気は水に溶かした墨汁のように広がり、周囲の魔物やその死体を巻き込んで次々に腐らせていく。さらには立ちこめるガスにナックラヴィーの姿が完全に隠れてしまい、マリアのセンサーにもその位置を容易には悟らせなかった。

「まずいッスよ美神さん……あいつの弱点は聞いてますけど、どこにいるのか解らないんじゃ文珠を使いようがありませんよ!」


 令子の隣で横島が真剣な表情で呟く。
 横島の手には【水】の文珠が握られていたが、文珠は投げる、もしくは対象に接触させなければその効果は期待できない。
 無駄に何度も使える能力でもないため、毒ガスに隠れてしまったナックラヴィーには正直お手上げなのである。
 そうしている間にも、毒ガスはじわじわと広がっていく。

「ボサッと立っておる場合でも無かろう、お前達」
「うわッ!?」

 ルシエンテスの声が聞こえた瞬間、毒ガスの中からナックラヴィーが出現しその太い腕で目の前を薙ぎ払う。直撃を受けた令子と横島は派手に吹き飛び、後ろにいた仲間達を巻き込んで倒れ込んだ。
 ナックラヴィーは再びガスの中に紛れると、その姿を隠してしまう。
 令子は間一髪で神通棍で防御しダメージを抑えていたが、素手の横島は脇腹を押さえて激しく咳き込んでいた。毒ガスはさらにその勢いを増し、令子達を確実に追い詰めていく。

(こ、こんな奴らとジークはやり合ってたのか……!!)

 口元に滲む血をぬぐい、横島は眼前に迫る濁った毒ガスを見る。
 とにかく今はこれをどうにかしなければ、全滅も大袈裟な話ではない。横島は【防】の文珠で結界を張り、仲間に迫るガスを凌ぐが、攻めに回らなければいずれにせよ結末は変わらない。
 使える文珠は残り三つ。
 この状況を切り抜けるために必死で知恵を巡らせてはみたが、思い浮かぶのはどれもあと一押しに欠けるアイデアばかりだった。

(ちくしょう、奴は心臓ぶち抜かれても死なないし、ヘタに手を出すと毒の血が流れて、余計に状況が悪化するって聞いたぞ……ああもう、どーすりゃいいんだ!)

 方法がないわけではない。
 文珠で位置を透視し、奴の心臓に【水】の文珠を直撃させるのだ。これならば全身に弱点の水を行き渡らせることができ、いかにしぶとい魔獣といえど倒すことが出来るだろう。
 だがそれは、リスクがあまりにも高い賭けでもある。事前に聞いていたナックラヴィーの特性を踏まえると、どうしても一撃で仕留めなければならないが、文珠を投げるのは横島であり、彼は特に物を投げるのが得意というわけではない。たまにキャッチボールをする程度のコントロールしか持ち合わせていない横島に、正確に急所に文珠を当てろと言うのは無茶な話だった。

「どうした、もうお終いかの? その結界が消えた時、ゆっくり止めを刺すとするかな。ファファファ」
「くっ、このジジィ……!」

 万事休す――

 誰もがそう思ったそんな時、こっそりとゲートの奥から這い出していた魔族がいた。音もなく飛翔したそのシルエットは、死角からルシエンテスめがけて一条の閃光を放つ。

「む……!?」

 すかさずステッキで閃光の軌道を逸らしたものの、魔導師の集中が途切れ瞳から光が消える。ふと我に返ったナックラヴィーは訳が解らず、その場で立ち尽くしてしまう。

「やっぱりここにいたじゃん。あたいを憶えてるねジジィ!」

 憎悪に満ちた声で吐き捨てるように言ったのは、翼を持った女性の魔族、ハーピーだった。
 新たに羽根を指先に挟み、いつでも自慢のフェザー・ブレットを仕掛けられるように身構えている。

「貴様はいつぞやの港におった人面鳥の小娘じゃったか。どこから忍び込んだ?」
「あんたが集めた魔族達の集団に紛れ込んで、ゲートを使わせてもらったのさ。あたいは軍属じゃないからね。誰も怪しまなかったよ」
「んん、そりゃあ盲点じゃったの。で、ワシにどんな用かね?」
「あたいの村は、お前とそこのバケモノにめちゃくちゃにされた! 仲間の仇、今こそ討たせてもらうよ!」
「何かと思えば……見ての通りワシは忙しいんじゃよ」
「黙れ!」
「やれやれ、魔族というのはどいつもこいつもいきり立ちおって。まだ人間達の方が話が通じるわい。それほど望みなら、まずはワシのしもべを倒す事じゃな」

 直後、強烈な衝撃波がルシエンテスの身体から放たれる。
 ハーピーは以前の港と同じように吹き飛ばされるが、二度も同じ轍は踏まない。旋回して勢いを殺し、上手く空中で制止してみせる。
 ふと足元を見れば、見覚えのある人間達が驚いた表情で自分を見上げていた。

「あ、あんたは……ハーピー!?」
「ふん、人間達がいるかも知れないって聞いてたけど、まさか美神令子と出会うとはね。まったく忌々しいじゃん」
「まだ美神さんを狙ってるんですか? 命令を出してた悪い人はもういないんですよ」

 過去の出来事を思い出し、おキヌが令子の傍に駆け寄ってハーピーを見上げるが、

「うるさいんだよっ!」

 大声で怒鳴ると、不愉快そうにハーピーは言った。

「あたいがここにいるのはそこのバケモノを始末するためじゃん。あの時の仕返しは、それが終わってからゆっくりしてやるじゃん」

 視線を逸らして毒ガスに隠れたナックラヴィーを探すハーピーに、横島が立ち上がって話しかける。

「おい、お前あいつの弱点解ってるのか? 闇雲にダメージ与えてもダメなんだ」
「そんなことはあたいの方がよく知ってるっての。奴を仕留める道具も用意してあるじゃん」

 そういってハーピーが取り出したのは、小瓶に入った透き通る水だった。彼女が言うには、この水は特にナックラヴィーに有効な物であるという。

「だからあたしの邪魔すんじゃないよ!」

 直後、ハーピーは毒ガスめがけてフェザー・ブレットを無造作に放つが、羽根は毒ガスに触れた途端に朽ち果てて消えてしまった。

「チッ、どうにかしてガスの中から引っ張り出さないとダメか……そうだ、そこの人間達。誰か囮になって奴をおびき出しな。そうすりゃ――」
「ちょっと待てハーピー。ここはひとつ、俺達と協力しないか?」
「よ、横島さん……!?」
「大丈夫だよおキヌちゃん。考えがあるんだ」

 自分中心に話を進めようとしていたハーピーに、横島がすかさず提案する。スナイパーの彼女がいるとなれば、さっき考えていた方法が俄然現実味を帯びてくる。ハーピーの狙撃の腕は、身をもって体験済みだ。互いに敵が共通なら、うまく連携して目の前の敵を倒すのが最善だろう。
 さらには、敵を倒すのに有効な武器も用意してあるというではないか。
 彼女さえ味方に付ければ、この状況を突破できるはずだと横島は確信した。

「なにかいい手があるのかい?」
「ああ、単純だけど確実だと思う。そのかわり美神さん達には手を出さないでくれよ」
「ふん、考えとくじゃん」

 横島は降りてきたハーピーに手順を説明し、文珠をひとつハーピーに渡す。ハーピーはそれを受け取り、再び宙に舞い上がった。

「いくぞッ!」

 【透】の文珠を毒ガスの中に投げ込むと、濁って先が見えなかったガスが透け、その中をうろついているナックラヴィーの姿がハッキリと確認することができた。
 ハーピーにとってそれは、鈍重かつ巨大な的。
 狙い外すことなど万が一にもあり得ない。
 長年待ち続けた本懐を遂げる瞬間がようやく巡ってきたことに、彼女は喜びの震えを禁じ得なかった。

「ついに仲間の仇を討てる……極楽へ……逝っちまいなッ!」

 水の入った小瓶と【浄】の文珠を紐で羽根に結び、ナックラヴィーの心臓めがけて必殺の一撃が放たれた。
 毒ガスを文珠の光が中和し、勝敗を乗せたフェザー・ブレットは消滅することなくナックラヴィーの元へと突き進む。
 羽根は見事に黒い血液を送り出す心臓に命中。瓶は衝撃で砕け、破れた心臓の中にその澄んだ水が流れ込んでいった。

「ギョァァァアァアアァアーーーーーーーッ!」

 誰もが耳を塞ぎたくなるような、おぞましく、そして凄まじい絶叫だった。
 ナックラヴィーは手足を激しく地面に叩きつけてのたうち回り、目や口からどす黒い液体をごぼごぼと溢れさせて悶えていた。
 やがて身体が空気の抜けた風船のようにしぼんでいき、最後に残ったのは、犬に似た生き物の死骸。
 狂気の魔獣はついに息絶えた。
 生体実験の末に生まれ、精神を破壊され尽くした兵鬼の最期だった。


 見境無しに撒き散らされた断末魔の障気は他の魔族達を巻き込み、生き残った連中もほとんど逃げ出してしまい、その場に残っていたのは令子達とハーピー、そしてルシエンテスだけとなっていた。

「素晴らしい……実に素晴らしい! まさか人間がしもべを倒してしまうとは。その力、実に興味深い」

 自分のしもべが撃破されたというのに、ルシエンテスは怒るどころか両手を叩いて自らの敵の健闘を讃えていた。
 非常識が売りの令子達ですら、彼の思考は理解に苦しむ。

「ただ殺すには惜しくなったわい。石像にして我がアトリエに飾ってみるのも一興じゃな、フフフ」
(やっぱりこいつ、アシュタロスとは全然別の方向でイカレてるわ――)

 戦う前に感じた自分の直感が間違っていなかったことを噛みしめつつ、令子は嫌な予感が膨れ上がっていくのを抑えられなかった。
 このままで済むとは、到底思えない。

(無事に地上に戻れるかしらね……こんなことなら、ギャラをもっと上乗せしてもらうべきだったわ)

 脳裏にそんな思いがよぎった時、突如令子の――いや、その場にいた全員の精神にあるテレパシーが届いた。




『聞こえるかルシエンテス。お前の求める物は俺が預かっている。姿を見せろ』




 ジークの声だった。
 メッセージを受け取ったルシエンテスはしばらくじっとしていたが、それが事実であると確信して肩を揺らして笑い始めた。

「ファーッハハハ! 本当に面白い奴じゃ……まったくワシを飽きさせんな!」

 愉快そうに呟き、ルシエンテスはゲートの装置に向かって念波を送り込む。すると中央の白い球体がせり上がり、球体はゲートの向こうへと吸い込まれて消えた。
 それは取り返しの付かないことではないか――令子の霊感が激しくそう告げていた。

「今のは……!?」
「ククク、せっかくじゃから教えておこうか。あの球体の中にはな、ワシが拝借した核弾頭が保管されておったんじゃよ。残りの四発もそれぞれ違う位置で同じようにな。そしてたった今、全ての起爆装置を作動させて封印の要にそれぞれ放り込んでやったわ。五分後には爆発のエネルギーによって、テュポンの封印の威力が半減するじゃろうなあ」
「な……なんて事してくれんのよこのジジィ!」
「後は小僧からあれを手に入れるのみ。もはやお前らと遊んでいる時間はなくなった。せいぜい遠くに逃げるがよかろう。もっとも、無駄かもしれんがな……ファファファ!」

 その言葉だけを残し、ルシエンテスは別の空間へと姿を消してしまった。
 取り残された令子達の間に、沈黙が広がる。
 横島はシリアスな表情で令子の瞳を見つめ、囁く。

「美神さん……」
「何、横島クン?」
「五分もあれば充ぶぺらッ!?」
「そういう部分だけは進歩しとらんのかあんたはッ! 逃げるのが先でしょーが!」

 見事なエルボーを見舞った後、令子は他の仲間を連れ、全力で出口へ向かって走り出した。
 素早く復活した横島も、そしてハーピーもその後に続く。
 破滅の足音が、膨大なエネルギーと共に近付いてきていた。
モドル | ススム|モクジ
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